家が紡ぐ物語 島崎藤村編 第2回

家が紡ぐ物語 島崎藤村編 第2回

棚澤明子

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旧島崎藤村邸を訪ねる(1)

※トップ画像は、島崎藤村 (1872~1943) 写真:国会図書館所蔵

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月
(「椰子の実」より抜粋 詩集『落梅集』より)

異国から流れ着いた椰子の実を眺めて、自らの故郷へ思いをはせたこの詩は、多くの人々の心に染み入り、名曲となって今でも歌い継がれています。
島崎藤村といえば、この歌を一番に思い浮かべる人も大勢いることでしょう。

藤村が穏やかな日々を送ったのは晩年のことであり、その前半生は「椰子の実」ののどかな印象からはかけ離れた、苦悩に満ちたものでした。
亡くなる前の約2年半、神奈川県中郡大磯町の簡素な家で静かに暮らした時間は、藤村にとってかけがえのないものだったに違いありません。
藤村が「靜の草屋(しずのくさや)」と呼んだこのついのすみかはそのままの形で残され、現在は多くのファンが訪れて藤村の面影をしのんでいます。

古くは要人、文化人の別荘地として知られた大磯町へ

JR大磯駅で下車し、線路沿いに10分ほど歩いた住宅街の中に、その家はひっそりとたたずんでいました。

旧島崎藤村邸

▲現在一般公開されている旧島崎藤村邸。内部の見学はできない(庭園は見学可)

かすかに聞こえるのは電車の通過音と鳥のさえずり、そして残暑を感じさせるセミの声のみ。
大正から昭和にかけて、何軒かの貸別荘が建てられたこの一帯は「町屋園」と呼ばれていたそうです。

大磯町に残る、この旧島崎藤村邸は、築95年ほど。
他の街で見掛ければ、歴史を感じさせるその風情に思わず足を止めたかもしれませんが、古い家屋の並ぶこの界隈(かいわい)では、気付かずに通り過ぎてしまいそうです。
こぢんまりした素朴な冠木門(かぶきもん)(*)をくぐって中に入ります。
左右に渡した冠木の上には、青々としたノキシノブが繁っていました。
藤村が暮らしていた当時には生えていなかったとのこと、藤村亡き後の時の流れが感じられます。

ノキシノブが生い茂った門

▲ノキシノブが生い茂った門

8畳、6畳、4畳半からなる平屋建て。冠木門から玄関へと進み、室内へ。廊下をまっすぐ行った先に4畳半の書斎があります。

玄関

▲玄関

書斎

▲書斎

絶筆となった『東方の門』を執筆したのが、この書斎でした。
静かで穏やかな空気の中に、文豪が作品と向き合った厳しさが漂っているように感じられます。
「この書斎を離れるときは、自分がこの世を離れるときだ」と語るほど気に入っていたというこの書斎は、数寄屋造りのこの家の中でもとりわけ茶室を意識して作られています。

書斎の入り口は、茶室の躙り口(にじりぐち)を模して、少し低くなっています。
千利休が考案した本来の躙り口は、屈まなければ入れないほど小さなもの。
茶室の中の全ての人が平等であり、かつ穏やかな気持ちで茶事に向き合えるように、武士が刀を置いて無防備な姿にならなければ入れない入り口が考え出されたのです。
藤村邸に見られるような躙り口を模した入り口は、利休の躙り口が後世に受け継がれた典型的な例だといえるでしょう。

書斎の東側には、ハギの枝を格子にして、アケビのつるを巻き付けた下地窓がしつらえられています。
下地とは、土壁の泥を支えるために細い枝などを餅網状に組み立てて作った壁の土台のこと。別名「塗残窓(ぬりのこしまど)」ともいうように、土壁の一部を塗り残して、この下地が見えるようにした窓を下地窓といいます。
壁が崩れ落ちて下地がむき出しになった田舎家を見た利休が、そこにわびの美しさを感じて、茶室に取り入れたのが始まりなのだそうです。

ハギの枝で作られた下地窓

▲ハギの枝で作られた下地窓

床の間には、藤村直筆の掛け軸(レプリカ)が掛けられていました。

藤村直筆の掛け軸(レプリカ)

▲藤村直筆の掛け軸(レプリカ)

夕陽無限好
唯是近黄昏

「華やかな時代は一瞬であり、何事もその後は黄昏(たそが)れていく」ということを意味しており、藤村が友への手紙にもしばしば記していた漢詩だそうです。

見上げると、下地窓の上には「明月」の書(レプリカ)が掲げられています。
これは、静子夫人の筆によるもの。

「優しい字だろう」と藤村が気に入って、書斎に飾ったそうです。

静子夫人の書(レプリカ)

▲静子夫人の書(レプリカ)

藤村の静子夫人への振る舞いは愛情深く、常に「あなた」と呼び、外から帰ってくると「おう、おう、暑かったろう」などと優しい言葉をかけていた、と後に知人らが語っています。
愛する人を失う苦しみを味わい尽くしていた藤村にとって、目の前でほほ笑む妻は、まさに満月のように明るく、前途を照らす存在だったのでしょう。

文机(ふづくえ)を前にして座ると、目の前にはドウダンツツジが見えます。
春先になると、かわいらしい小さな鈴のような白い花を咲かせるドウダンツツジ。
今ではすっかり大きくなっていますが、藤村が暮らしていた当時は座って執筆するときにちょうど目の高さにくるよう、庭師に手入れを頼んでいたのだそうです。

書斎から見た庭の風景

▲書斎から見た庭の風景

(*)左右の門柱の上部に横木(冠木)を渡した門

参考資料
旧島崎藤村邸パンフレット
『島崎藤村コレクション1 写真と書簡による島崎藤村伝』伊東一夫、青木正美編(国書刊行会)
『島崎藤村コレクション2 知られざる晩年の島崎藤村』青木正美著(国書刊行会)
『群像 日本の作家4 島崎藤村』井出孫六著(小学館)
『現代日本文学アルバム第3巻 島崎藤村』足立巻一ほか編(学習研究社)
『茶室建築の実際』松嶋重雄著(理工学社)
大磯町観光協会オフィシャルサイト
http://www.oiso-kankou.or.jp/entry-info.html?id=20446/
大磯町観光情報サイト イソタビドットコム
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/
isotabi/look/meisyo/kyuushimazakitousontei.html

取材協力:旧島崎藤村邸(大磯町産業観光課)

所在地:神奈川県中郡大磯町東小磯88-9
開場時間:9:00~16:00
休場日:月曜日(祝祭日の場合は開場)、年末・年始

公開日:2018年02月15日

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棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。

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