家が紡ぐ物語 島崎藤村編 第1回


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晩年の藤村が見つけた安住の地
▲島崎藤村 (1872-1943)
写真:国会図書館所蔵

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月
(「椰子の実」より抜粋 詩集『落梅集』より)

異国から流れ着いた椰子の実を眺めて、自らの故郷へ思いをはせたこの詩は、多くの人々の心に染み入り、名曲となって今でも歌い継がれています。
島崎藤村といえば、この歌を一番に思い浮かべる人も大勢いることでしょう。

藤村が穏やかな日々を送ったのは晩年のことであり、その前半生は「椰子の実」ののどかな印象からはかけ離れた、苦悩に満ちたものでした。
亡くなる前の約2年半、神奈川県中郡大磯町の簡素な家で静かに暮らした時間は、藤村にとってかけがえのないものだったに違いありません。
藤村が「靜の草屋(しずのくさや)」と呼んだこのついのすみかはそのままの形で残され、現在は多くのファンが訪れて藤村の面影をしのんでいます。
 

苦悩の前半生と静子との出会い

島崎藤村は、1872年に木曽の馬籠村(現・岐阜県中津川市)の名家に生まれました。
文学的には、「椰子の実」や「初恋」など、みずみずしい感性による詩で頭角を現しましたが、次第に自然主義小説へと表現の場を移していきました。

藤村の人生は、血縁者たちが常に暗い影を落としています。
父・正樹は精神に異常をきたし、藤村が14歳のときに亡くなりました。姉・そのも、藤村が48歳のときに精神を病んだ末に亡くなっています。長兄・秀男は、不正疑惑や詐欺事件でたびたび投獄されました。

恋愛もまた、藤村の前半生においては決して幸せをもたらすものではありませんでした。
明治女学校で教壇に立っていた21歳の藤村は、婚約者のいる教え子、佐藤輔子を愛してしまったことで非常に苦しみます。
16歳でキリスト教の洗礼を受けていた藤村ですが、このとき自責の念から棄教し、教職も辞しました。

1899年、27歳で秦冬子と結婚した藤村。
幸せな日々は長くは続かず、長女、次女、三女の3人の娘が幼くして病死。そして四女・柳子の出産と同時に妻・冬子が命を落とします。
柳子と3人の息子は生き延びたものの、娘と妻を相次いで失ったことは、藤村に大きな打撃を与えました。

▲大正11(1922)年8月撮影。左から島崎藤村、長男・楠雄、三男・蓊助、次男・鶏二、末女・柳子

藤村は娘たちと妻を亡くした後、残った子どもたちの子守としてやってきた姪のこま子と道ならぬ恋に落ちます。
誰も幸せにしないこの恋愛に、藤村もこま子も長い間苦しみました。
輔子との愛は小説『春』へ、こま子との愛は小説『新生』へとそれぞれ書き残されて藤村の代表作となりましたが、藤村はその重みを生涯抱えていくことになりました。

度重なる不幸や苦悩の恋愛と並行して、第1次世界大戦と関東大震災に見舞われ、晩年には太平洋戦争も勃発します。
荒れ狂う海を航海するような日々の中で、藤村は次々と作品を書き連ねていきました。
前述の自伝的小説2作品の他にも、被差別部落出身者の苦悩を描いた『破戒』、幕末から明治維新にかけての激動期を父をモデルに描いた『夜明け前』など、現代にまで読み継がれる重厚な名作を残しています。

そんな藤村が56歳で結婚して晩年を共にしたのは、藤村が創刊した女性誌『処女地』を支えた24歳年下の加藤静子でした。
藤村への愛を認識した日のことを思い返し、静子夫人は藤村の中に「なんらの過去を持たない詩人である、貧しい青年の姿」を見いだしたと書き残しています。
さまざまな過去を受け止めた上で、藤村の本質を理解していた静子夫人との出会いは、藤村にとってあらゆる苦悩を浄化するような出来事だったのではないでしょうか。

▲昭和18(1943)年6月撮影。島崎藤村と静子夫人

まもなく70歳になろうという年、藤村は長年の知人であった天明愛吉に誘われて、神奈川県の大磯町で開催される火祭り、左義長(さぎちょう)を見物に行きました。
「若かりし頃、死を考えて大磯の浜をさまよっていたときに、たまたま居合わせた漁師の妻に握り飯をもらい、生きる気力を取り戻した」という思い出を語った藤村に対して、大磯在住の愛吉は大磯で暮らすことを提案します。
戦況が悪化して疎開の必要が迫っていたことや、大磯の温暖な気候が老いた身に優しかったことなど数々の理由も重なり、藤村は愛吉に物件を探すように頼みました。
そこで愛吉が見つけてきて、藤村がひと目見て気に入った小さな家が、藤村のついのすみかとなりました。

時に東京の自宅と往復しながら、藤村はこの家で最後の作品『東方の門』に取り組みます。
静子夫人と共にひっそりと暮らした大磯での2年半は、長い間嵐の海を漂ってきた藤村がようやくたどり着いた、安住の地だったように思えてなりません。
 

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参考資料
旧島崎藤村邸パンフレット
『島崎藤村コレクション1 写真と書簡による島崎藤村伝』伊東一夫、青木正美編(国書刊行会)
『島崎藤村コレクション2 知られざる晩年の島崎藤村』青木正美著(国書刊行会)
『群像 日本の作家4 島崎藤村』井出孫六著(小学館)
『現代日本文学アルバム第3巻 島崎藤村』足立巻一ほか編(学習研究社)
『茶室建築の実際』松嶋重雄著(理工学社)
大磯町観光協会オフィシャルサイト
http://www.oiso-kankou.or.jp/entry-info.html?id=20446/
大磯町観光情報サイト イソタビドットコム
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/look/meisyo/kyuushimazakitousontei.html/

取材協力:旧島崎藤村邸(大磯町産業観光課)
所在地:神奈川県中郡大磯町東小磯88-9
開場時間:9:00~16:00
休場日:月曜日(祝祭日の場合は開場)、年末・年始

M0000OG2120(2017.11新)

棚澤明子

棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。