家が紡ぐ物語 岡本太郎編 第1回

家が紡ぐ物語 岡本太郎編 第1回

棚澤明子

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旧岡本太郎邸を訪ねる――サロン

※トップ画像は、岡本太郎(1911~1996) 写真提供:岡本太郎記念館

東京・南青山にある岡本太郎記念館は1954年から96年までの42年間、岡本太郎が暮らした自宅兼アトリエです。「太陽の塔」や「明日の神話」など代表作の構想が生まれたのも、パートナーである敏子との愛を育んだのも、この家でした。コンクリートブロックを積み上げた建物に凸型レンズの屋根を載せた建築は、今見ても斬新なもの。当時のままのサロンやアトリエ、そしてジャングルのような庭から、太郎のエネルギーがあふれ出しています。梅雨の晴れ間、青々と広がる空の下、旧岡本太郎邸(現・岡本太郎記念館)を訪れました。

今にも動き出しそうな太郎が待つ応接室へ

岡本太郎記念館

▲東京・南青山にある岡本太郎記念館
画像提供:岡本太郎記念館

都心の一等地にあるこの建物は、岡本太郎が42年にわたってパートナーの敏子と暮らし、数々の作品を生み出したアトリエ兼自宅です。漫画家の父・一平、小説家で歌人の母・かの子と共に幼少期を過ごした場所でもあるのですが、当時の家は1945年の東京大空襲で焼失してしまいました。終戦後、復員してきた太郎は、まず鎌倉で川端康成の世話になり、その後世田谷区上野毛の家を経て、ここへ戻ってきたのです。

竣工は1954年。敗戦からおよそ10年、まだ戦後の面影の残る街に出現したこの斬新な建築は、周囲の目を引き、大きな話題になったのだとか。いまや南青山といえば、東京で最もファッショナブルかつクリエイティブな空気の漂う街ですが、それは太郎がここにアトリエを構えたからだという説もあるそうです。

ここが太郎の住まいであったことは、記念館の看板を確認するまでもなく、あふれ出している強いエネルギーから伝わってきます。コンクリートの壁には、記念館のシンボルである大きな眼のデザインと、赤で描かれた「TARO」のサイン。中をのぞいてみると、2階のベランダから身を乗り出してこちらを見下ろしている「太陽の塔」と目が合いました。「やあ、来たな」と言いながら、ニヤリと笑っているのでしょう。

2階のベランダから顔をのぞかせている、小さな「太陽の塔」

▲来訪者を歓迎するように2階のベランダから顔をのぞかせている、小さな「太陽の塔」

足の裏の形をしたドアノブを押して、いざ中へ。ふと見ると、入るときのノブは男性、出るときのノブは乳房が付いているので女性なのでしょう。愛に生きた太郎と敏子らしい、小さな仕掛けです。

入るときの足型のノブ

▲入るときのノブ
画像提供:岡本太郎記念館

出るときの足型のノブ

▲出るときのノブ

ちなみに、1階に受付やミュージアムショップ、2階に企画展示用スペースのあるこの建物は太郎亡き後に作られた新館で、太郎が暮らしていた頃はここに彫刻のための作業場がありました。

新館2階からの眺め

▲新館2階からの眺め

右手に進むと、旧館のサロン(応接室)につながります。
旧館に入った途端、匂いが変わりました。“記念館”の匂いではなく、古い家の匂い。太郎と敏子の匂いです。

太郎は、新しく構えたこの自宅兼アトリエを「現代芸術研究所」と名付け、さまざまなアーティストによる新しい芸術運動の拠点としました。このサロンには錚々(そうそう)たるメンバーが集まり、時代の先端をいく議論が繰り広げられたのでしょう。

サロンに並ぶ太郎の作品

▲サロンに並ぶ太郎の作品

サロンには、太郎の作品が所狭しと並んでいます。まず目を引くのは、等身大の太郎のマネキンでしょうか。マネキン制作会社から「画期的な製法を開発したからモデルになってほしい」と頼まれた太郎は快諾。しわや指紋までそっくり同じように出来上がって、ご満悦だったそうです。

等身大の太郎のマネキン

▲等身大の太郎のマネキン

太郎の隣ににょきっと立っているのは、記念館から程近い「こどもの城」(2015年閉館)のシンボルとして老若男女から愛されてきた「こどもの樹」。生前の太郎は、「みんな同じ顔をしてることはないんだ。怒りたい子はいつも怒ってていいんだぞ。べそかきたい子は泣いてていい。ベロ出したい子は出しなさい」(『恋愛芸術家』より)と話していたそうです。

「こどもの樹」のミニチュア版

▲2015年に惜しまれつつ閉館した青山の「こどもの城」。そのシンボルだった「こどもの樹」のミニチュア版(左)

サロンの手前側に4つ並んでいるのは「坐ることを拒否する椅子」。家具に関して、スマートでしゃれているものには物足りなさを、気取ったものには嫌悪感を持っていたという太郎。

「合理主義、機能主義オンリーのモダンデザインをのりこえて、激しい生活感、イマジネーションをうちだしたものが、もうそろそろ出てきてもよい時期ではないか。奇抜なことをいうようだが、たとえば腰かけられることを否定するような感じの椅子とか(後略)」(岡本太郎記念館パンフレット収録「アクトする空間」より)と語っています。ありきたりな常識に対する「ノン」の姿勢がユーモアとともに伝わってくる、太郎らしい作品です。

坐ることを拒否する椅子

▲「坐ることを拒否する椅子」

窓際には、「手の椅子」が2つ並び、太郎と敏子の写真が飾られていました。1974年、アトリエで行われた、太郎の母・かの子の三十五回忌の際には、この「手の椅子」が供物台に使われました。

手の椅子

▲「手の椅子」

右側の壁沿いで存在感を放っている木は、「生命の樹」と呼ばれるメキシコの民芸品。壁画「明日の神話」を制作するため、何度かメキシコを訪れていた太郎が気に入ったものだそう。「生命の樹」といえば、「太陽の塔」の内部には、生命の歴史を体感できる約50mに及ぶ同名の作品があります。太郎が古代メキシコの出土品を見て「メキシコ人は何千年も前から俺のまねをしてるのか」と言った、というエピソードは有名ですが、この「生命の樹」も太郎の世界観に通じるものがありそうです。

メキシコの民芸品(生命の樹)

▲メキシコの民芸品(生命の樹)

テーブルの上には、食器などがたくさん並んでいます。ティーセット「夢の鳥」や、水差し「水差し男爵」、ライター「火の接吻」など、太郎の代表作たちは、どれもこれも一筋縄ではいかない顔をしていますね。

水差し「水差し男爵」、ティーセット「夢の鳥」

▲(左から)水差し「水差し男爵」、ティーセット「夢の鳥」

ライター「火の接吻」

▲ライター「火の接吻」(中央)

参考資料
岡本太郎記念館ホームページ http://www.taro-okamoto.or.jp
坂倉建築研究所ホームページ http://www.sakakura.co.jp
岡本太郎記念館パンフレット収録・エッセイ「アクトする空間」
『恋愛芸術家』岡本敏子著(マガジンハウス)
『岡本太郎の遊ぶ心』岡本敏子著(講談社)
『CasaBRUTUS特別編集 新説・あなたの知らない岡本太郎』(マガジンハウス)
『もっと知りたい岡本太郎 生涯と作品』佐々木秀憲著(東京美術)
『太郎さんとカラス』岡本敏子著(アートン)

取材協力:岡本太郎記念館

所在地:東京都港区南青山6-1-19
開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで) 入館料:一般620円、小学生310円
休館日:火曜日(祝日の場合は開館)、年末年始および保守点検日

公開日:2017年12月08日

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棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。

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