家が紡ぐ物語 葛飾北斎編 第1回


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絵師・葛飾北斎の誕生
▲葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」すみだ北斎美術館蔵

「家」を通して先人たちの生き様を追いかけてきた連載「家が紡ぐ物語」。
今回11人目にして初めてご紹介するのは、“家にまったく執着がなかった”という人。
時は江戸時代、今よりずっと活気にあふれていた東京・下町でひときわ強い輝きを放った絵師・葛飾北斎です。

生涯における転居回数は93回。
かといって、旅に生きたわけでもなく、転居回数で記録を打ち立てようとしていたわけでもなく、ただただ「家」というものに執着がなかったようです。
北斎は、ほとんどの転居を現・墨田区内で繰り返していました。
彼にとっては町そのものが家のようなものだったのかもしれません。
北斎は家だけでなく、一般的にアイデンティティーと見なされる名前も絵のスタイルも次々と変えていきました。
捉えどころのない存在のど真ん中に強靭(きょうじん)な核を持ち続け、日本国内のみならずヨーロッパのアートシーンにも大きなインパクトを与えた北斎。
なぜ彼はこんなにも自由で、エネルギッシュで、才能のままに生きることができたのでしょうか。

その揺るぎない核とは、いったい何だったのでしょうか。
北斎の人生に思いをはせながら、墨田区に残る足跡をたどってみましょう。

 

浮世絵師・勝川春朗を名乗る

徳川家治が江戸幕府10代将軍についた1760(宝暦10)年の9月23日、後に世界へとその名をとどろかせる絵師・葛飾北斎が江戸の本所割下水(ほんじょわりげすい)で産声を上げました。

本所割下水とは、現在の両国駅と錦糸町駅を結ぶ北斎通りに当たります。

というわけで、北斎を巡る町歩きは、ここ北斎通りからスタートしましょう。

今は大きな通りになっていますが、当時は道の真ん中に掘割があったことから、このような名が付いていたのだとか。

2016年11月、この通り沿いに「すみだ北斎美術館」がオープンしました。
約30年かけて築き上げられたコレクションは、ファンにとっても、北斎についてゼロから知りたい方にとっても貴重なもの。
北斎本人も、生誕の地にホームベースができて大いに喜んでいることでしょう。

▲すみだ北斎美術館
(C)Forward Stroke

北斎生誕の地を示す立て札は、「すみだ北斎美術館」に隣接した緑町公園の片隅に立てられています。

▲北斎の生誕地とされる本所割下水は現在の墨田区亀沢付近

北斎通りを錦糸町駅方面に向かって少し歩くと、地域の子どもたちが「すみだ北斎美術館」のワークショップで制作したタイルを使った案内板がありました。

「冨嶽三十六景」などの図柄が使われており、この地が北斎生誕の地であることがひと目で分かります。
北斎が今でも地元住民の皆さんに愛されていることが伝わってきますね。

▲タイルで作られた案内板

北斎の実の両親についての詳細は残されていませんが、生家から程近くにあった幕府御用の鏡師・中島伊勢に養子に出され、後で生家に戻されたと伝わっています。

ちなみに、母方の曽祖父は、赤穂浪士の討ち入りで倒れた吉良家の剣豪・小林平八郎だったとのことですが、真偽のほどは分かりません。

この吉良邸は、両国駅から5分ほど南へ歩いた場所に現存しています。
残っているのは当時の1/86の面積に当たる一角のみですが、幕府の儀礼を取り仕切った高家(こうけ)の格式を表す「なまこ壁」も再現され、往時の雰囲気を味わうことができます。

▲吉良邸跡・本所松坂町公園

この吉良邸への討ち入りを描いた「新版浮絵忠臣蔵 第十一段目」も有名ですね。

▲吉良邸跡に設置された案内板では、「新版浮絵忠臣蔵 第十一段目」を見ることができる

この地で生まれ育った北斎は、何よりも絵を描くことが好きな子どもでした。
6歳になる頃には、見たもの全てを紙に書き写さねば気が済まないほど、絵を描くことのとりこになっていたそうです。

ちょうどこの時期、江戸では錦絵(*1)と呼ばれる華麗な多色摺りの版画が大流行。
この美しい錦絵も、北斎の憧れをかき立てました。
本人の常軌を逸するほどの情熱に加え、周囲の計らいもあったのでしょう。
北斎は貸本屋の小僧を経て、16歳で錦絵の版木を彫る職人になりました。
けれども、満足できません。
「描きたい、描きたい」と、ただただ絵を描くことを渇望していました。

1778(安永7)年、19歳になった北斎にターニングポイントが訪れます。
当時の人気浮世絵師・勝川春章への入門が許されたのです。
群を抜く才能を秘めていた北斎は、入門から1年で多くの兄弟子を差し置いてデビューを果たしました。
画号は、師の春章から「春」と、春章の別号であった旭朗井の「朗」を譲り受けて「勝川春朗」となりました。
師匠から2文字も譲られるのは、破格の扱いだったといいます。

北斎は勝川派に在籍していた約15年、黄表紙(*2)に筆を振るいました。
表立って描けるのはあくまでも勝川派の絵でしたが、表現方法について飽くなき追求を続ける北斎にとって、流派間の壁などまったく関係ありません。

琳派(りんぱ)、狩野派などの他流派とも、自由気ままに付き合いました。
それが兄弟子たちは気に入らない。嫉妬も買ったことでしょう。
1792(寛政4)年に師匠・勝川春章が亡くなると、その翌年、勝川派を破門されました。

 
(*1)1765(明和2)年頃から流行した華麗な多色摺りの版画。「あずま錦絵」と呼ばれ、江戸の特産として全国に広まった
(*2)10ページを1冊とした通俗的な読み物。1冊につき、約5図の挿絵が掲載されている

 

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参考文献
『葛飾北斎 —すみだが生んだ世界の画人—』永田生慈監修(財団法人墨田区文化振興財団 北斎担当発行)
『葛飾北斎伝』飯島虚心(岩波書店)
『葛飾北斎年譜』永田生慈(三彩新社)
『北斎 ある画狂人の生涯』尾崎周道(日本経済新聞出版社)
『伝記を読もう 葛飾北斎』柴田勝茂(あかね書房)
『大江戸パワフル人物伝 葛飾北斎』小和田哲男監修(草土文化)
『コミック版世界の伝記37 葛飾北斎』すみだ北斎美術館監修(ポプラ社)
『東京人 2016年12月号 特集・北斎を歩く』(都市出版)
『和樂 2017年10・11月号 <大特集>天才絵師、北斎のすべて!』(小学館)

取材協力:すみだ北斎美術館
〒130-014 東京都墨田区亀沢2-7-2
・都営地下鉄大江戸線「両国駅」A3出口より徒歩約5分
・JR総武線「両国駅」東口より徒歩約9分
・都営バス・墨田区内循環バス「都営両国駅前停留所」より徒歩約5分
・墨田区内循環バス「すみだ北斎美術館前(津軽家上屋敷跡)停留所」からすぐ

開館時間:9時30分~17時30分(入館は閉館の30分前まで)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日、または振り替え休日の場合はその翌平日)、年末年始
観覧料金(常設展):一般400円、高校生・大学生・専門学校生・65歳以上300円、未就学児童・小学生・中学生無料
http://hokusai-museum.jp/
お問い合わせ先:03-5777-8600 (ハローダイヤル)

M0000OG2642(2018.04新)

棚澤明子

棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。