家が紡ぐ物語 江戸川乱歩編 第1回

家が紡ぐ物語 江戸川乱歩編 第1回

棚澤明子

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夢の世界に生き、引っ越しと転職を繰り返した半生(1)

※トップ画像は、写真提供:立教大学

強烈な個性を持つ怪人二十面相、不気味な妖怪博士、青銅の魔人、透明怪人……。異形の悪役たちがうごめく古い洋館に乗り込む明智小五郎と少年探偵団。
江戸川乱歩が描く妖しい世界に魅了され、子どもの頃に「少年探偵団シリーズ」を読破した思い出のある人も少なくないでしょう。
『屋根裏の散歩者』や『人間椅子』など人間心理を描き尽くした本格ミステリーも、いまだに色あせることなく、新たな読者を獲得し続けています。
「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」
乱歩は、この一言を自らのキャッチフレーズのように使っていました。
「現実世界の出来事は幻のようなもので、妖しい夢の世界こそが全てである」という意味で、“江戸川乱歩”というペンネームの由来にもなったアメリカの文豪、エドガー・アラン・ポーの言葉が元となっています。
この言葉を地でいくかのように現実の世界に価値を見いださず、職や住まいを転々としながら夢の世界に生きた乱歩。
専業作家になるまでに20回近く職を変え、生涯で40回以上転居を繰り返したといわれています。
そんな乱歩が、人生後半の31年間、一軒の家に住み続けました。
終の棲家(ついのすみか)となったこの家には、乱歩をひき付けてやまない何かがあったのでしょうか。

残された文献を読み解いていく中で見えてきた、生身の乱歩。
実際に足を運んだ旧乱歩邸で目の当たりにしたもの。
そこから、乱歩にとってこの家が何だったのかを探っていきたいと思います。

夢とうつつを行き来する乱歩

旧江戸川乱歩邸への案内像

▲東京・池袋にある旧江戸川乱歩邸への案内像。乱歩が好んだとされる「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」の言葉が刻まれている

1894年10月21日、乱歩は三重県で生まれました。
祖母、両親、兄弟、召使いというにぎやかな家庭で、おばあちゃん子として甘やかされて育ちましたが、「一風変わった子どもだった」と自ら書き残しています。
幼い頃から妄想癖が強く、おとぎ話のような、詩のような、訳の分からない独り言をつぶやきながら外を歩くことは日常茶飯事。たんすの中には秘密の祭壇を作り、自分だけの神様を祭っていたといいます。夢とうつつを行き来するようなこの性質は、乱歩が生まれながら持っていたものなのでしょう。

1912年、単身で上京した乱歩は、早稲田大学政治経済学部で学び始めます。
同じ年に父親が破産したため、苦学を決意して上京したようですが、どのアルバイトも長くは続きませんでした。
「世渡りのつらさに自殺しようと決心しかけたことがたびたびある」とも書き残しており、その心にあったのは「一人きりで空想の世界に浸っていたい」という夢の世界への傾倒と、現実への違和感だったようです。
大学入学から専業作家になるまでの13年間、職を変えたのは約20回。長くて1年半、短ければ半月、平均すると半年しか1つの仕事が続くことはありませんでした。
そして、転職と合わせて、乱歩は次々と住居も変えていきます。
「従来、家については関心がなかった。ただ住めればよかった」と語っているように、現実世界の象徴である「家」というものについては、関心を持たなかったどころか、定住することへの嫌悪感もあったのかもしれません。(2017年1月取材)

参考文献
『江戸川乱歩推理文庫第60巻 うつし世は夢』(講談社)
『江戸川乱歩随筆選』(紀田順一郎編・筑摩書房)
『江戸川乱歩コレクションⅠ 乱歩打明け話』(新保博久、山前譲編・河出書房新社)
立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターパンフレット

取材協力:立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター

所在地:東京都豊島区西池袋3-34-1
公開:水曜、金曜(10:30〜16:00)
*資料閲覧には事前予約が必要

公開日:2017年06月01日

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棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。

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