家が紡ぐ物語 三鷹天命反転住宅編 第3回

家が紡ぐ物語 三鷹天命反転住宅編 第3回

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異なる4つの部屋を有する3LDK

東京都三鷹市の幹線道路沿いに突如姿を現す奇抜な建築物。
数え切れないほどの色と独特なフォルムで成り立つその建物は、芸術家であり、建築家でもあった荒川修作とそのパートナー、マドリン・ギンズが2005年に完成させた「三鷹天命反転住宅 イン・メモリー・オブ・ヘレン・ケラー」です。
「イン・メモリー・オブ・ヘレン・ケラー」というサブタイトル、「死なないために」というコンセプトはいったい何を意味しているのでしょうか?
建物の中を案内していただきました。

常識と言葉にコントロールされる私たち

4つの部屋を見ていきましょう。まずは、黄色に塗られた球体の部屋、「スタディルーム」です。

黄色に塗られた球体の部屋「スタディルーム」

スタディルームの内観

▲スタディルームという名は付いているが使い方は自由。中に入るとこんな感じ

ここは床が湾曲しているので、壁に手を付かなければ立っているのも困難。さらに、声を出すと音が乱反射して、まるで他人の声のようにあらぬ方向から返ってきて驚かされます。

二足歩行は危ういということ。今発した自分の声が遠くから聞こえることもある、ということ。少しずつ常識がずれていきます。

スタディルームの隣は、床の中央に円形の畳がはめ込まれた「畳部屋」。

円形の畳の周りには玉砂利が敷かれている畳部屋

▲円形の畳の周りには玉砂利が敷かれている

ここでは、部屋に足を踏み入れるなり畳の真ん中に座り込んだ自分に気付いて、はっとしました。自分の行動から、とっさに猫の姿が思い浮かんだのです。猫などの小動物は、床に円形が描かれていると、なぜかその中に入る習性があると言われています。猫たちと同じ感覚なのかどうかは分かりませんが、部屋の中心に円形の畳が敷いてあると、無意識のうちにその「丸」を陣取ってしまう。実は私たちは、身体の奥底に持っている動物的な感覚にあらがえないようにできているのかもしれません。

隣は、人が1人立てるだけの狭いシャワーブースが入った部屋です。

狭いシャワーブースが入った部屋

ほかに、洗濯機や洗面台なども入っています。シャワーブースの裏には、シンプルな洋式便器が一つ。ドアはありません。

トイレ

けれども、全てが奇妙なこの部屋に慣れてくると、もはやこんなことでは驚きません。そう、「トイレにドアはあるべし」というのは、どこかの誰かが作った常識でしかないのです。身体が、ドアを求めているわけではありません。

その隣は「寝室」です。

寝室

個人的には、この部屋に一番戸惑いました。ここは床も天井もフラットで、目を引くものは何もありません。一般的な住宅では“普通”のことが、すでにここでは“普通”ではなくなっているようです。さまざまな感覚があふれ出してきていた身体が、この状態に「どうしよう?」と一瞬立ち止まりました。

あちこちを眺めたり、触ったりしていると、松田さんから「キッチンの周りをぐるぐると歩いてみましょう」と声が掛かりました。表面がざらざらとしていて、砂漠のような色をした床は、でこぼこと波打っています。

でこぼこと波打つ床

しばらく歩いた後、松田さんが言いました。
「床の凹凸には2種類の大きさがあって、大きい方は大人の土踏まず、小さい方は子どもの土踏まずのサイズにぴったりなんですよ。ほら、皆さん、いつの間にか自分の土踏まずに凹凸を合わせて歩いていませんでしたか?」

環境に合わせて、人は身体の使い方を変えていく。この家のテーマの一つが、はっきりと見えてきました。この家は、身体の奥底に眠っている動物的な感覚を呼び覚まし、身体の使い方を変えさせようとしているのです。面白いと思いつつも、私は自分が床の凹凸に土踏まずを合わせずに歩いていたことに気付いていました。

「なるほど、なるほど」とつぶやきつつ、皆、再び歩き始めます。そこでまた松田さんが一言。
「最初に土踏まずを凹凸に合わせて歩かなかった人も、私に言われて、今度は土踏まずを合わせて歩いていませんか? 言葉には人の行為をコントロールする力があるのです」
してやられた、と苦笑がこぼれます。2度目に歩いたときには、いつの間にか土踏まずに凹凸を合わせて歩いていたのです。

もし松田さんの一言を聞かなければ、私は自分にとってもっと楽な歩き方を編み出していたかもしれません。それは、スキップだったのかもしれないし、四つんばいだったのかもしれないのです。けれどもその一言を聞いたばかりに、身体の感覚を無視して、言葉にコントロールされてしまった……。

人は、とりわけ常識にまみれてしまった大人たちは、こうしてさまざまなものにコントロールされて生きているのかもしれません。

全ての常識、全ての言葉を取り払うと、身体はもっともっと生き生きと、本当の意味で正しく動くのではないでしょうか?そして、目や耳を通して脳に入ってくる情報からは得られない、大切なことに気付くのではないでしょうか?

大きな気付きを一つもらったのだ、と思いました。

Reversible Destiny Lofts Mitaka – In Memory of Helen Keller, created in 2005 by Arakawa and Madeline Gins, © 2005 Estate of Madeline Gins.

参考
三鷹天命反転住宅パンフレット(荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所 発行)
『荒川修作の軌跡と奇跡』(塚原史著、NTT出版、2009年)
映画『死なない子供、荒川修作』(監督:山岡信貴、制作:リタピクチャル、2010年)

取材協力:三鷹天命反転住宅

所在地:東京都三鷹市大沢2-2-8
賃貸のほか、ショートステイも可能。不定期で見学会も開催されている。

公開日:2017年09月05日

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棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。

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