家が紡ぐ物語 夏目漱石編 第1回

家が紡ぐ物語 夏目漱石編 第1回

棚澤明子

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人生初の“引っ越し”から「愚陀佛庵」まで

※トップ画像は、夏目漱石(1867~1916) 写真:国立国会図書館蔵

明治の文豪・夏目漱石―――
その名から誰もが最初に思い浮かべるのは、立派な口ひげを蓄え、まるで日本の行く末を案じるかのような憂いを帯びた目をした、あの写真ではないでしょうか。
漱石の人となりはあらゆる言葉で語られてきましたが、そこには常にあの写真から漂う「迷いなくわが道を進むエリート」「イギリス仕込みの近代的な紳士」というイメージが付きまとってきたような気がします。
漱石は、49年の生涯で30回を越える引っ越しをしました。
引っ越しの経緯を一つ一つたどっていくと、周囲に翻弄(ほんろう)されて右往左往している生身の漱石が浮かび上がってきます。
その姿は、誰もが思い浮かべる「文豪・夏目漱石」からは少し離れていて、時に痛々しかったり、時に滑稽だったりします。
漱石はどこから生まれて、どこにたどり着いたのでしょうか。
漱石が暮らした家々を訪ねながら、その人生をひも解いていきましょう。

人生初の“引っ越し”

漱石は、1867年に牛込馬場下(現・新宿区喜久井町)の名主・夏目小兵衛直克(なつめこへえなおかつ)と妻・千枝の五男として生まれました。
その誕生は祝福されず、漱石はまもなく里子に出されます。
悲しいかな、これが漱石の人生最初の“引っ越し”となりました。
その後、生家に戻され、あらためて別の家に養子に出され、さらには養家の離婚騒動に巻き込まれて、8歳で再び生家に戻されました。
ここに至るまでの引っ越しは約10回。
正式に夏目家に復籍できたのは、21歳になってからでした。
大人たちに翻弄されてあちこちで暮らさねばならず、心のよりどころを見つけることのできなかった少年時代は、漱石のその後の人生を暗示しているように思えてなりません。

正岡子規と暮らした四国松山「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」

1893年、26歳で帝国大学(現・東京大学)を卒業して大学院に進学、高等師範学校で英語講師の職を得た漱石ですが、青春期ゆえの不安や自意識との闘いがあったのでしょうか、その心持ちは決して明るいものではありませんでした。
生涯苦しめられることになった神経衰弱も、この頃から顔を出し始めます。
心を落ち着けられる環境を求めた漱石は小石川の法蔵院に間借りし、半年ほど下宿しましたが、1895年に四国松山に渡り、尋常中学校の英語教師となりました。
周囲の反対を振り切ってまで四国に移った理由を、後に鏡子夫人は「当時の恋愛話がもつれて神経衰弱が悪化し、周りの誰もが敵であるかのように見え始め、東京が嫌になったのではないか」と回想していますが、真偽の程は漱石本人にしか分かりません。
後々まで伝わっているのは、松山に渡って2軒目に住んだ家です。
漱石は、自分の俳号「愚陀佛(ぐだぶつ)」から、この家を「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」と呼びました。
ここに転がり込んできたのが、学生時代からの友人・正岡子規です。
子規がたびたび開いていた句会「松風会」の仲間と交わるうちに、漱石も次第に句作に熱中するようになりました。
2人の共同生活は、子規が東京に戻るまでの52日間続いたそうです。
生涯の友となる子規との友情が育まれたこの家は、残念ながら戦災で焼けてしまいました。1982年に復元されたものの、2010年に土砂崩れに巻き込まれて倒壊し、現在は松山市立子規記念博物館内に1階部分のみが復元されているそうです。

参考
『文豪・夏目漱石–そのこころとまなざし』江戸東京博物館・東北大学編/朝日新聞社
小冊子「漱石山房の思い出」新宿区地域文化部文化観光国際課
『漱石の思い出』夏目鏡子述・松岡譲筆録/文春文庫
『千駄木の漱石』森まゆみ/ちくま文庫
『漱石とその時代 第三部』江藤淳/新潮選書
「愚陀佛庵」(http://www.bansuisou.org/gudabutsu/about.html
ホテルサンルート熊本HP(http://www.sunroute-kumamoto.jp/
博物館明治村(http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/1-9.html
サライ公式サイト内「日めくり漱石」(http://serai.jp/tag/夏目漱石

公開日:2017年02月15日

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棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。

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