平松洋子が語る(後編)「『幸福論』に幸福になる方法は書かれていません」

スマイルすまい編集部

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ボクとワタシの「幸福論」 第18話

「幸せだから笑うのではない。むしろ笑うから幸せなのだ」
こんな味わい深い言葉を新聞にプロポ(短めのコラム)として、毎日のように書き残した哲学者アラン。
そのプロポから幸福について書いた言葉だけを集めたものが、『幸福論』です。
「幸せ」をテーマに、さまざまな分野に取り組む人が、その人の『幸福論』を語ってくれる連載です。

プロポ17 「体操」より
人間は思い通りに考えることはできないが、
鍛錬すれば思い通りに体を動かせるようになる

角川ソフィア文庫 『幸福論』より

幸福の定義を決めたら、苦しくなる

エッセイスト 平松洋子

子育てが、とても大事な訓練期間だった

『幸福論』に書かれている全てのプロポは、「幸福になりたいならこうしなさい」など、いわゆる教条的な内容ではありません。アランは自分も含め、人間というものはどのような存在なのか、人生を生きるということはどんな意味を生み出すのか、自身の視点で徹底して考え、深めようとした人。日々新聞に書き続けることによって、哲学的な思考を働かせ、人間の本質を探り出す――そのための言葉であり文章だったと思うのです。

「幸福だなあ」と感じるのはその人によって違いますし、私も同じような気持ちになることはもちろんあります。例えば、ずっと欲しかったお皿が手に入ったとき。そのときは、「よかったな、うれしいなあ」とは思いますが、幸福という感覚とはちょっと違うのかもしれません。だって、そのお皿は形あるものだから、次の瞬間に落ちて壊れてしまうかもしれない。じゃあ、お皿が壊れた後の私は幸せではないのか、不幸なのかというと、決してそうではない。そもそも幸福に理想の形があるわけではないですし、同じように不幸という状態、状況もない。現在の自分がここにいることを素直に喜びたい、そんな気持ちが強いです。

自分自身も周囲も、あるいは社会も、川の流れのように刻々と変化していくもの。それまでよかったと感じていた何かが少し違う方向にずれたりすると、それに固執したり、自分は駄目だって落ち込んだり、相手を責めたりするのは、どうも違うような気がする。もちろん反省も学習も必要なんですけれど、一番難しくて一番必要なのは、目の前に起こった事実を受け入れることなのかもしれません。だから、自分に幸福とか不幸とか、特に言葉を当てはめて考えなくてもいいんじゃないかな、と。

でも、ずっとこんなふうに考えてきたわけじゃないんですよ。今振り返ってみると、やっぱり子育てで訓練された気がします。子どもって、一番身近な存在でありながら、他者でもある。子育ては、他者との関係について問われ、試される訓練期間でもありました。その意味で、逆にこちらが育てられている。こうやってほしいな、と思っても、親の思い通りになんて絶対にいかないわけで……葛藤の連続(笑)。本当にたくさんの訓練をさせてもらったな、と思います。

未知なるものに出会えることを体が知っている

『幸福論』の著者・アランは、人間の知よりも行動を上位概念に置いているのだと思います。個の意識が、どのように自分の生き方に影響を及ぼし、示唆を与えながら行動を決めているのか――。

「体操」というプロポでは、自分の中に満ちている思考や意識が、身体性に有機的につながっていることを、落下の危機をとっさに回避して生還した戦闘機乗りのケースなどを使って教えてくれています。大学時代、一般教養の授業の課題で『幸福論』を読んだときにはうまく理解できませんでしたが、年を重ねてから再読すると、言葉がリアルに響くことに驚かされます。

人が何かに取り組むとき、その先にある未知なるものに出会えるかもしれないと思うから、向かっていこう、挑んでみようと思うんですよね。スポーツ選手もきっとそう。試合の前に、苦しいトレーニングを続けるのは、努力を裏切らない成果があることをイメージできるから。そして、大きな成果を得た人であればあるほど、体を動かしたり行動することでしか得られないものが確かにあると知っている。登山もそうですよね。

仕事にしても同じだと思うんです。私にしても仕事に取り組む前、執筆量も多くて大変だなとおびえても、その先に未知なるものとの出会いが待っている可能性を、経験則として知っている。だから意欲が湧いてくるし、頑張ろうという気になれるんですね。

ただし、結果や成果は更新されるし、日々変化します。それを必定のものとして受け入れられる自分でもありたい。今回のテーマは『幸福論』についてですが、あまり“幸福”という言葉に引っ張られない方が楽に生きられるのかな、と思っています。

こうでなければ幸福じゃないと決め付けていると、苦しくなってしまう。人間は、誰もが他者との関係の中で生きているわけだから、想定外のことが今日だって明日だって当たり前に起こり得ますよね。幸福だなと思っていたことに変化が訪れることは、実は普通にある。人生って、その連続なのかもしれません。

その意味で、今この瞬間が自分にとってそれほど違和感がないのであれば、だぶんそれでいい。むやみにあらがわず、いったん受け入れて前に進めば、きっと悪くはならない、くらいに緩く考えるくらいがちょうどいい。そんなふうに考えるようになりました。『幸福論』のプロポの中に、「幸せだから笑うのではない。むしろ笑うから幸せなのだ」という一節があります。アランからのメッセージ、大事な贈り物なのではないでしょうか。

語り手:平松洋子

岡山県倉敷市生まれ。東京女子大学文理学部社会学科卒業。生活文化、文芸など幅広いテーマについて執筆活動を行う。『買えない味』(ちくま文庫)で第16回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。『野蛮な読書』(集英社文庫)で第28回講談社エッセイ賞受賞。著書に『おとなの味』(新潮文庫)、対話集『食べる私』(文藝春秋)、『彼女の家出』(文化出版局)ほか多数。荻窪の本屋Titleにてインタビュー。

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