アスリート 為末 大が語る(後編)「"寛容な社会"を構築し、より人間らしい幸福を探求したい」

アスリート 為末 大が語る(後編)「"寛容な社会"を構築し、より人間らしい幸福を探求したい」

スマイルすまい編集部

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ボクとワタシの「幸福論」 第16話

「幸せだから笑うのではない。むしろ笑うから幸せなのだ」
こんな味わい深い言葉を新聞にプロポ(短めのコラム)として、毎日のように書き残した哲学者アラン。
そのプロポから幸福について書いた言葉だけを集めたものが、『幸福論』です。
「幸せ」をテーマに、さまざまな分野に取り組む人が、その人の『幸福論』を語ってくれる連載です。

 

プロポ53 「短刀の曲芸」 より
君のいまの苦しみは、ひどくつらいもの
だからこそ、必ず和らぐ

白水ブックス『幸福論』より

今この瞬間を真剣に、一生懸命生きよう

元プロ陸上選手/株式会社侍 代表取締役 為末 大

人間の“心”を理解したい好奇心

額縁の上に置かれたアラン「幸福論」の本

2012年に、プロ陸上選手を引退しました。引退後の選手は、生活に困るまではいかないですが、けっこう苦労するんですね。多分、僕もそうなるだろうと(笑)。精神的不安定よりも経済的不安定の方が心配だったので、選手の育成・強化の仕事以外は、最初からとにかく何でもやってみることにしました。そうしたら解説者、コメンテーターの依頼をたくさんいただけて、ほかにインタビューや書籍の執筆の引き合いなども。それら以外もいろんな仕事を乱れ打って、残ったもの、うまくできたものを、今も続けているという感じです。

新しい仕事を選ぶ際のルールとしては、前述したハードルへの転向決断と同じ観点で、メジャーかマイナーであれば後者を選ぶなどいくつかありますが、やはり面白いか、面白くないかが一番大きな基準ですね。過去にもうかるかもうからないかで頑張ったこともあるんですけど、性格的にも能力的にも向いてないなと。

小さな頃は、新聞記者になりたかったんですよ。編集や言葉に関連する仕事が多いのは、その影響なのかもしれません。今、自分の会社を経営していますが、社内での“為末大”の定義は、“メディア”ということにしてあって、いわゆる社長的なマネジメントはまったく(笑)。これで経営者といえるのかっていう感じですけど。

僕というメディアの中に何かを放り込むと、面白いものが出てくる、そんな役割が多いです。それって要は、世の中で起きている出来事の編集なんですよね。社会情勢を幅広く知ることも、本を読むこともすごく好きですし、楽しい時間です。お金の心配を一切しなくていいと言われたら、ずっと本を読んだり、何かを書いたりして過ごしているでしょうね。いろんな人とディスカッションすることにも興味があります。そもそも、人間の“心”を理解したいというのが、ずっと変わらない僕の好奇心。人生をかけて追求していくべき1つの軸といえます。

アスリートは、体の構造、動き、筋肉、ケガなど、競技にまつわる疑問の答えを解明したくなる人種です。僕の場合、体の疑問もそうですが、「結果が出るとうれしい」と心がなぜそう感じるのか、それをとても不思議に思っていました。そもそも自分がなぜあれほど夢中になって、あんなに必死で走っていたのかということも含めて、人間の心の仕組みや作用を知りたいのです。

答えはまだ見つかっていませんが、自分の競技人生は最高に幸せだったと心から思えます。ただ一方で、意味などないから幸せだったんじゃないかという気もしています。スタートラインが目の前にあって、あそこにゴールがあったから、走りだしちゃった。それが自分にとって面白かったから続けられただけ、という思いもあって……。でも、人間が面白がる、好奇心を持つ、その不思議にとても興味があるのです。

 

“寛容な社会”に必要となるマインドセットを

笑顔でお話される為末大さん

コラムなどで、アランのプロポを読んだことはありましたが、『幸福論』を手に取ったのは今回が初めて。同意できることがとても多かったというのが素直な感想です。特に「自分で自分を苛んでいる人々のすべてに、わたしは言いたい。現在のことを考えよ、と。刻一刻とつづいている自分の生活のことを考えよ、と」(プロポ53:短刀の曲芸)が頭に残りました。

不安って、未来のことや自分と遠い話が多くて、今この瞬間の不安って実はあんまりない。僕の感覚で言うと、ほとんどの不安は勘違いというか、自分の空想が生んだ恐怖がさらなる大きな恐怖を生んでいる感じがするんですね。それに真っ向から立ち向かうよりも、おなか空いたからご飯を作りましょうっていう方が、よほど重要だと思います。だから、不安になったり怖くなったりしたら、とにかく今日を淡々と生きる。目の前のことを一生懸命やり続けていれば、不安は去り、幸福が近づいてくるのではないでしょうか。

僕の好きな世界観の一つに“寛容な社会”があります。今の日本社会って、何となく不寛容に向かって進んでいるような気がするのです。もうちょっと世の中を柔らかくできないかなと。全員にとってそれが居心地のいい世界だというつもりはなく、ただ権限が中央ではなく、もっと個人の側に渡される、何でも自分たちで話し合って決めましょうという世の中へ。ただし、上から下りてくるルールが減ると、多少の混乱が起こるのは仕方ない。でも、僕はそんな社会の方が人間らしいし、好ましいと思う。

ちなみに、うちの会社には出勤の義務はありません。ある日突然、海に行きたくなる人もいるんじゃないかと。寛容な社会では個人が自由になるけれど、おのずと自分は何者なのかということ、自分は何をやりたいのか、自分の人生をしっかり考えなければならなくなる。で、そのときに大事になるのも、今この瞬間を真剣に、一生懸命生きるということだと思うのです。

うちの会社のある男性社員が最近よくしゃべってくれるようになりました。それが最近感じた幸せです。以前、「君はいつも何が正しいかを考えてから話をする。そうではなく、何を感じたかを聞きたいんだよ」と伝えました。人は他人を裁くように自分も裁いているんですよね。

でも実は、自分の好き嫌いを言ってはいけないと思っている人が世の中、特に日本にはたくさんいるような気がしています。正しいか正しくないかではなく、好きとか嫌いとか言える方が人間らしい感じがするんですけどね、僕は。少なくとも、彼にとって小さな心の解放があったのだとうれしくなりました。これからも、僕が関わる人たちとそんな関係をつくっていきながら、寛容な社会づくりの推進と、そこで必要とされるマインドセットの変換に貢献していきたいと思っています。

 

語り手:為末 大

1978年、広島県生まれ。2001年エドモントン世界陸上選手権および05年ヘルシンキ世界陸上選手権において、男子400mハードルで銅メダル。陸上短距離種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者となる。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。12年、25年間の現役生活から引退。男子400mハードルの日本記録保持者(2017年10月現在)。現在はアスリートと社会を繋ぐ一般社団法人アスリートソサエティの代表理事を務める。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。『日本人の足を速くする』(新潮新書)、『走る哲学』(扶桑社新書)、『仕事人生のリセットボタン ―転機のレッスン』(共著/ちくま新書)など著書多数。

公開日:2018年05月10日

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