稲垣えみ子が語る(前編)「他人を幸せにすることが幸せに近づく第一歩」


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ボクとワタシの「幸福論」 第13話

「幸せだから笑うのではない。むしろ笑うから幸せなのだ」
こんな味わい深い言葉を新聞にプロポ(短めのコラム)として、毎日のように書き残した哲学者アラン。
そのプロポから幸福について書いた言葉だけを集めたものが、『幸福論』です。
「幸せ」をテーマに、さまざまな分野に取り組む人が、その人の『幸福論』を語ってくれる連載です。
 

人は幸福になることはできない。
でも、他人を幸福にすることはできる。

稲垣えみ子

 

元新聞記者  稲垣えみ子さん
 

地方暮らしと節電生活が変えてくれた価値観

当たり前ですが、誰もが幸せになりたいと思って生きています。例えば、教育、就職、人間関係、あるいは家、家具、服、食べ物など、できるだけいいものを、他人よりもたくさん手に入れることが幸福だと、誰もが当然のように信じているんじゃないでしょうか。

昔の私もまさにその通りで、一生懸命勉強して、いい学校を出て、いい会社に入って、評価されて、それなりの名誉ある地位に就きたい、プライベートでも、おいしいものを食べたい、いい家に住みたい、1着でも多くおしゃれな服が欲しいと、日々頑張っていました。ところが38歳のときに、本社から香川県の総局に異動を言い渡された。まさかの地方行き。なぜ私が?と思わなかったといえばうそになります。

でも都会から離れ、何もない地方の生活を経験したことで、近くの山に登るとか、地元で採れた安くて新鮮な野菜を買うとか、お金がなくても暮らしを十分に楽しむことができることに気付いてしまったのです。そして、東日本大震災の原発事故をきっかけに始めた超節電生活。この二つの体験が、私の中から“何かが足りない”ことへの不安と恐怖を、少しずつ減らしていってくれました。

そもそも人生は、永遠に上り坂ではありません。いつかは下っていくことを考えると、若い頃の価値観のままでいると後半戦はきっとまずいことになると思うのです。なぜなら得るものを最後まで増やし続けるのは絶対に無理だから。給料もいずれはもらえなくなるし、体だって衰えます。

で、最後に誰もが死ぬ。私はずっと、この真理を真剣に考えずに生きてきたんですよね。得ることばかりに幸せを求めてきた。このままではこの先何十年も「失うこと」におびえ、つらさやみじめさを抱えて生きていくことになってしまいます。長い人生を考えたとき、閉じていく人生へのギアチェンジが必要なんじゃないか。腰を据えて、自分の生活や価値観を変えていかなくちゃいけない。それを考えると定年退職まで待つのは遅い気がしたんですね。で、50歳になった年に、朝日新聞社を辞めました。

会社を辞めるということは、毎月当たり前のように得ていた、お金=給与がもらえなくなるわけで、当然のことながらそれが最大の不安だったのですが……これが意外に大丈夫だったんです。なければ生きていけないものなんてないんだなと。むしろ、ない方が毎日面白いし、楽しくなることが分かったんですよ。

今の住まいは、社会人になって初めて一人暮らしを始めたときと同じくらいの小さな部屋です。築50年近い古いマンションで、収納も靴箱もないので持ち物はほとんど処分しました。服が10着くらい。電気製品は、電灯と、パソコン、スマホ、ラジオのみ。1カ月にかかる電気代は200円以下です。ガス契約をしていないので調理はカセットコンロで、お風呂は銭湯を利用しています。

毎日の生活スタイルは本当にワンパターン。太陽が顔を出して鳥が鳴き始めたら起床。それからヨガをして、掃除など家事をして、自転車で近所のカフェへ。そこでモーニングを食べながら3時間ほど原稿仕事。で、いったん家に帰ってお昼ご飯を作って食べて、ちょっと昼寝。そして午後はまたカフェに行って、また3時間仕事してから銭湯へ。それから家へ帰って夕飯を取り、夜は仕事から離れたいので雑巾やエプロンなど縫い物をしたり、本を読んだりして過ごす。部屋は暗いし、老眼だけど、“心眼”で針の穴に糸を通せます(笑)。人間の能力って実はすごいんです。
 

半径1キロの街全体が、わが家だと考える

冷蔵庫がないので、昼と夜の自炊の食材は、基本、その日食べるものだけを近所の店で買います。1日分にならすと、だいたい400円くらい。メニューは鍋で炊いたご飯と一汁一菜のおかずですが、晩酌も楽しみます。言ってみれば、お店の冷蔵庫が私の冷蔵庫でもあるわけです。近所の銭湯が私のお風呂だし、近所のカフェが私の書斎になっている。

これまで多くの人は、自分の部屋の中に必要なもの全てをセッティングした“要塞”(ようさい)を作ることを目標としてきたように思います。でも私は、今や自宅を中心とした半径1キロの街全体が自分の家なんです。電気を使わなくても、太陽、風などの自然の力で食材の保存はできますし、街の誰かの助けを借りればまったく問題なく生きていけるんですよ。

これって、江戸時代の貧乏長屋みたいな暮らしですよね(笑)。家と外との垣根がどんどん低くなっている。そうなると、お風呂屋さんがいつも元気で、毎日営業してくれないと私は困っちゃう。近所の古い酒屋さん兼コンビニ的なお店がなくなってもまた困るわけです。

街の皆さんが、ちゃんとお店を開け続けてくれるように、私もしっかりお店に貢献しないといけません。毎日一生懸命、書き仕事をしていますが、そうして私にできる役割をこなすことで稼いだお金を地元で使って自分の理想の町を作ろうと(笑)。そうなると、お金をため込もうっていう考えが消え去りました。これ、私の中では、ものすごい価値観の転換で、それまでは「1円安く買えた!オトク!」みたいな感じだったんですよ。

でも、今はむしろ1円でも多く払って、地域のみんなが幸せにならないと、自分も幸せになれない――と考えが変わったときに初めて、優越感を得るために他人と自分とを比較する、きりのない“地獄”から抜け出すことができた。逆に自分の生活サイズを小さくして、所有する行為をやめる、そして街と共に生きるようになると、実際の部屋はすごく小さいけれど、自分史上最大の、誰よりも大きな家に住んでいるって感覚になれたんですよ。近所にたくさんの友達もできました。

それに、自分が持っている財産って、お金だけじゃない。多くの人が、お金がないと何もできないと思っているけれど、「金で解決」って頭も使わないし心も使わないんですよね。お金がなければ、ないなりに工夫したり、人に頼ってみたり、できる方法をいろいろ考えざるを得ない。むしろそっちの方が、私にとってはすごくクリエーティブで、料理も家事も、買い物だって、今までの何倍も面白くなったんですよ。お金がなくなるという恐怖から完全に解放された気がします。

そんな暮らしを、拙著のタイトルで『寂しい生活』と表現しています。今の人たちって、“寂しい”ことをとても怖がっているでしょ。以前の私もそうでした。でも、寂しいからこそ、誰かとつながろうとするし、何もないからこそ、今あるものを大事にしようとする。いろんなものを実際になくしてみて、初めてそのことが実感できたんです。今まで怖がってきた寂しさというものが、むしろ“幸福の原石”だった。その発見に、私自身、すごく驚いてしまいました。

 

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語り手:稲垣えみ子
1965年、愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、朝日新聞社に入社。大阪本社社会部、週刊朝日編集部などを経て、朝日新聞論説委員、編集委員。アフロヘアと肩書のギャップがネット上で大きな話題となった。2016年1月、退社。同年4月、テレビ番組『情熱大陸』でアフロヘアや超節電生活をクローズアップされ一躍注目される。著書に『死に方が知りたくて』(PARCO出版)、『震災の朝から始まった』(朝日新聞社)、『アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。』(朝日新聞出版)、『魂の退社』『寂しい生活』(共に東洋経済新報社)、『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』(マガジンハウス)がある。

M0000OG1856(2017.10新)

スマイルすまい編集部

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