家が紡ぐ物語 樫尾俊雄編 第4回

家が紡ぐ物語 樫尾俊雄編 第4回

棚澤明子

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樫尾俊雄発明記念館を訪ねる(2)

※トップ画像は、樫尾俊雄(1925~2012)

仕事で、家庭で、今や私たちの暮らしに欠かせない電卓。
この電卓の原型となる、世界初の「小型純電気式計算機」を世に送り出したのが、カシオ計算機株式会社です。
この耳慣れた“カシオ”という社名も、樫尾家の4人の兄弟たちが力を合わせて創り上げた会社であり、この計算機が誕生するまでに数々のドラマがあったのだと知れば、また違った響きが感じられることでしょう。

後に「樫尾四兄弟」と呼ばれた彼らは、それぞれの個性と才能を生かした分業体制でカシオの礎を築き、その中で、次男の俊雄は発明家として、その一翼を担いました。

現在、樫尾俊雄発明記念館として部分公開されている旧樫尾俊雄邸では、歴史に名を刻んだ数々のヒット商品とともに、ここで暮らし、ここで発明にいそしんだ俊雄の情熱が、いまも生き生きと息づいています。

第1~2回では、発明家として生きた俊雄の人生を振り返り、第3~4回では、樫尾俊雄発明記念館(旧樫尾俊雄邸)を訪れてみることにします。

ダイニング、寝室、そして創造の源だった書斎

「数の部屋」に入ってみましょう。
かつてはダイニングだったというこの部屋からは、晴れていれば真正面に富士山を望めます。

数の部屋

目の前の増築棟の屋上に屋根を付けず、人工芝を敷いただけにしたのは、ダイニングからの眺めを妨げたくなかったからだそう。

人工芝が敷かれた屋上

▲人工芝が敷かれた屋上。置かれた椅子とテーブルが小さく見えることからも分かるように、かなりの広さ!

“電卓戦争”をカシオの勝利へと導いた、世界初のパーソナル電子計算機「カシオミニ」も展示されています。

当時、大流行したテレビコマーシャルのキャッチフレーズは「答え一発」。
CMソングの歌詞を担当した伊藤アキラが、春闘ののぼりに書かれていた「一発回答」というフレーズを見て思い付いたのだそう。この映像もモニターで見ることができます。
50代以上の方にとっては、非常に懐かしいものに違いありません。

「数の部屋」に展示されている計算機

次は増築棟の突き当たりにある「音の部屋」へ。
華やかな花模様の赤いじゅうたんが敷かれているこの部屋は、もとは夫人の寝室でした。

音の部屋

▲もとは夫人の寝室として使われていた「音の部屋」

この部屋には、カシオ初の電子楽器「カシオトーン201」のほか、「シンフォニートロン8000」や「デジタルホーンDH-100」など、さまざまな電子楽器が展示されています。

「音の部屋」に展示されている電子楽器

一つ隣の「時の部屋」を見てみましょう。
落ち着いた雰囲気のこの部屋は、俊雄の寝室だったそうです。

時の部屋

▲俊雄の寝室だった「時の部屋」

1974年に発売された世界初のオートカレンダー機能付き腕時計「カシオトロン」、現在のスマートウオッチの原型となるような数々の多機能時計、そして一世を風靡(ふうび)した「G-SHOCK」。
この一部屋でカシオの時計史が全て分かります。

「時の部屋」に展示されているカシオの時計史

その隣が、「創造の部屋」です。
俊雄の書斎として使われていたこの広い部屋は、家の主にふさわしい威厳をたたえています。
広く作られた窓から見える木々、京都御所のものと同種だというスギゴケ、水が流れ込むように作られている美しい池などが、発明に打ち込む俊雄の心を満たしていました。

創造の部屋

▲美しい庭に面した書斎

 

創造の部屋の家具

▲考え事をするためのテーブルのほかに、事務的な仕事をするための事務机も置かれている

入って右手の壁には、一面に大理石が張られています。

一面に大理石が張られた壁

オニキスを原石のままイタリアから輸入し、俊雄が好きな面のみを飾ったのだそうです。
自然が形作った神秘的な模様は、木の枝越しに眺める草原にも、窓の外の現実の緑から繋がっているようにも見える不思議なもの。

俊雄は、思索にふけりながら、どのような思いでこのオニキスを眺めていたのでしょうか。
発明のことを除けば、宇宙のことばかり考えていたという俊雄は、ここに宇宙の謎を見ていたのかもしれません。

廊下に面したガラスには、俊雄の希望でギリシャ神話の世界が描かれています。
なぜギリシャ神話だったのか、ということは、例によって「俊雄のみが知る」とのこと。

ギリシャ神話の世界が描かれた廊下に面したガラス

ドアの背丈が少し低いのは、「空気がよどむから隙間をあけてほしい」という俊雄の希望で、ドアを短く切らせたからだそう。

ドアの背丈が少し低いためドアの上部に隙間がある

▲ドアの上部に隙間があるのが分かる

部屋の木材には、全て無垢(むく)のマホガニーが使われています。
この邸宅に大量のマホガニーを使ったため、1年ほど木場からマホガニーが姿を消した、というエピソードが残されています。

発明のために、寝食を忘れてこの部屋に閉じこもっていることが多かったという俊雄。
思考が回転し始めると、声を掛けられても気付かないことも多々あったそうです。
考えるには、紙と鉛筆があれば十分。
そのせいか、この部屋に機械類は一切なく、デスクもシンプルなものでした。

「創造の部屋」にある考え事をするためのデスク

▲考え事をするためのデスク。ここからさまざまなアイデアが生まれた

発明に没頭しながらも、同時に家族を、自然を、美しいものを愛した俊雄。

この邸宅をくまなく歩くと、愛するものへの思いをかたちにするためのアイデアが、外装、内装、庭の隅々から見受けられます。俊雄にとって発明とは商品の設計のみを指すのはなく、生きることそのものだったのでしょう。

この家は、そんな俊雄の生きざまを見せてくれる場所でもありました。

参考文献
『樫尾俊雄発明記念館 パンフレット』
『社内報かしお 樫尾俊雄名誉会長追悼特別号』(カシオ計算機)
『計算機の中に宇宙の意思をみた』樫尾俊雄著
『電卓四兄弟 カシオ「創造」の60年』樫尾幸雄、佐々木達也著(中央公論新社)
『兄弟がいて 私の履歴書』樫尾忠雄著(日本経済新聞社)
『考える一族 カシオ四兄弟・先端技術の航跡』内橋克人著(岩波現代文庫)

取材協力:樫尾俊雄発明記念館

所在地:東京都世田谷区成城4-19-10
開館時間:9:30~17:00 入館料:無料
※完全予約制。WEBサイトからの予約が必要。

公開日:2018年05月10日

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棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。

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