家が紡ぐ物語 樫尾俊雄編 第3回

家が紡ぐ物語 樫尾俊雄編 第3回

棚澤明子

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樫尾俊雄発明記念館を訪ねる(1)

※トップ画像は、樫尾俊雄(1925~2012)

仕事で、家庭で、今や私たちの暮らしに欠かせない電卓。
この電卓の原型となる、世界初の「小型純電気式計算機」を世に送り出したのが、カシオ計算機株式会社です。
この耳慣れた“カシオ”という社名も、樫尾家の4人の兄弟たちが力を合わせて創り上げた会社であり、この計算機が誕生するまでに数々のドラマがあったのだと知れば、また違った響きが感じられることでしょう。

後に「樫尾四兄弟」と呼ばれた彼らは、それぞれの個性と才能を生かした分業体制でカシオの礎を築き、その中で、次男の俊雄は発明家として、その一翼を担いました。

現在、樫尾俊雄発明記念館として部分公開されている旧樫尾俊雄邸では、歴史に名を刻んだ数々のヒット商品とともに、ここで暮らし、ここで発明にいそしんだ俊雄の情熱が、いまも生き生きと息づいています。

第1~2回では、発明家として生きた俊雄の人生を振り返り、第3~4回では、樫尾俊雄発明記念館(旧樫尾俊雄邸)を訪れてみることにします。

エントランス、リビングを見る

樫尾俊雄発明記念館(旧樫尾俊雄邸)

世田谷区成城の閑静な住宅街に、樫尾俊雄発明記念館(旧樫尾俊雄邸)はあります。内装から建材まで全て妥協せず、俊雄自らがこだわり抜いて設計した邸宅です。

2012年に俊雄が亡くなり、彼の長男・隆司(カシオ計算機 上席執行役員 法務・知的財産統轄部長 兼 コーポレートコミュニケーション統轄部長)から「父は自宅に愛着を持っていました。ここを記念館に残したい」(『電卓四兄弟』より)という話が持ち上がったことがきっかけで、2013年5月に開館しました。

俊雄は、その発明の多くを会社ではなく、自宅で考えていたのだそうです。オフィスの机にじっと座っているよりも、好きなものに囲まれた家にいる方がアイデアを思い付きやすかったのかもしれません。

豊かな緑

小田急線成城学園前駅から記念館まで歩いてくると、まず目に入るのは豊かな緑。まるで山の中腹に建っているかのように土地そのものが斜面になっているのは、ちょうど国分寺崖線上に立地しているからだそう。

全835坪のうち、庭は400坪。
一般財団法人世田谷トラストまちづくりが管理している広大な庭には、国分寺崖線古来のコナラや赤松など、たくさんの木々が生き生きとその枝を伸ばしています。

俊雄の要望で、株立ちをして、複数の幹を伸ばすような形に整えられた木もいくつか見られました。

複数の幹を伸ばすような形に整えられた木

今年築45年を迎えた邸宅は、エメラルドグリーンの屋根が目を引きます。

エメラルドグリーンの屋根

この家は、上から見ると鳥が羽を広げた形にも、水晶のような六角形にも見えるように作られたのだそう。飛翔する鳥のイメージを常に心の中に持っていたこと、またクオーツ式の時計を制作したことを建物の形状に込める、という俊雄らしいアイデアです。

樫尾俊雄邸のジオラマ

▲エントランスに展示されている樫尾俊雄邸のジオラマ。独特の形をした屋根が確認できる

屋根の上には、俊雄自身の象徴だというオジロワシのステンドグラスが。

屋根のてっぺんにそびえ立つオジロワシのステンドグラス

▲家族を見守るように屋根のてっぺんにそびえ立つオジロワシのステンドグラス

玄関からお邪魔してみましょう。
こちらはエントランスです。

エントランス

まるでオペラホールのような趣のエントランス。
俊雄が設計したというらせん階段に続き、桟敷席を模したスペースがあります。
61灯のシャンデリアが輝くこの場所には、ピアノを習っていた娘がプチリサイタルを開けるようにと、スタインウェイのピアノを置いていたのだそうです。壁が大理石で作られているのも、音の反響を考えてのことだそう。

エントランスには、俊雄夫人の象徴である極楽鳥のステンドグラスもありました。

極楽鳥のステンドグラス

▲極楽鳥のステンドグラス

エントランスから廊下の突き当たりを見ると、そこにはわが子たちの象徴だという丹頂鶴のステンドグラスも据え付けられていました。家族それぞれへの愛情を“形”にしているところに、発明家である俊雄らしさが感じられます。

2羽の丹頂鶴が飛ぶステンドグラス

▲2人の子どもになぞらえた2羽の丹頂鶴が飛ぶステンドグラス

では、「発明の部屋」に入ってみましょう。

発明の部屋

かつてはリビングだったという非常にエレガントな部屋の中央に、機械が1台。これこそが歴史的な発明品である小型純電気式計算機「14-A」です。

小型純電気式計算機「14-A」

機械の裏に回ると、341個並ぶリレーを見ることができます。計算を始めたときのカタカタカタ……という軽快な音は、何度も聞きたくなるような響きを持っています。

小型純電気式計算機「14-A」の機械の裏

これだけのシステムを動かすには、配線も複雑です。
俊雄は、誤配線を防ぐために導線を色分けして、結合すべき導線がすぐに分かるような解決策を考え出しました。これが知る人ぞ知る「カシオキミムクチダネ」というフレーズ。
カは赤、シは白、オは青……とそれぞれ色に対応しています。
実際に俊雄は無口だったので、兄弟は大笑いしたらしいのですが、この解決策のおかげで、誤配線がなくなったそうです。

ちなみに、この「14-A」をここに展示するまでにも、長い道のりがありました。
埼玉県のある建設会社から譲り受けたものの、倉庫に50年以上眠っていたという代物をすぐに動かすことはできません。そこで、「14-A」の現役当時に修理や点検を担当していた元社員に来てもらい、記憶を頼りに数カ月かけて修理してもらったのだそうです。

この部屋には、1962年に開発された科学技術用計算機の元祖「AL-1」も展示されていました。

科学技術用計算機の元祖「AL-1」

歴史的な名機に気を取られてしまいますが、改めて部屋をぐるりと見回してみると、細部に至るまで趣向が凝らされていることに驚きます。
欄間やドアにはステンドグラスがはめ込まれていますが、これはフランスから取り寄せたガラスに、自らデザインしたものだそう。
欄間のステンドグラスは、よく見ると向かいあっている2羽の鳥が。

ドアにはめ込まれたステンドグラス

壁の一部には、ピンク色を基調にした大理石が使われています。

ピンク色を基調にした大理石の壁

この部屋の壁の一部がグレー系の色に塗られているのは、天井の柱部分の色と合わせた木目調のブラウンが気に入らず、無理に塗り直しをさせた結果だそう。

俊雄が塗り直しを命じた“グレーの壁”

▲写真の中央部分が、俊雄が塗り直しを命じた“グレーの壁”

なぜグレーなのか。ステンドグラスの色に合わせたのではないか?という説もありますが、結局は「俊雄のみが知る」とのこと。

隣の「数の部屋」との境はなんと自動ドアになっています。

「数の部屋」の自動ドア

この自動ドアは、完全に閉まる前に一時停止するという不思議なもの。
なぜかといえば、考え事をしていると周りが見えなくなってしまう俊雄が挟まれないための工夫なのだとか。

参考文献
『樫尾俊雄発明記念館 パンフレット』
『社内報かしお 樫尾俊雄名誉会長追悼特別号』(カシオ計算機)
『計算機の中に宇宙の意思をみた』樫尾俊雄著
『電卓四兄弟 カシオ「創造」の60年』樫尾幸雄、佐々木達也著(中央公論新社)
『兄弟がいて 私の履歴書』樫尾忠雄著(日本経済新聞社)
『考える一族 カシオ四兄弟・先端技術の航跡』内橋克人著(岩波現代文庫)

取材協力:樫尾俊雄発明記念館

所在地:東京都世田谷区成城4-19-10
開館時間:9:30~17:00 入館料:無料
※完全予約制。WEBサイトからの予約が必要。

公開日:2018年05月10日

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さん

棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。

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