家が紡ぐ物語 樫尾俊雄編 第2回


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電卓戦争勝利から時計、楽器事業へ
▲樫尾俊雄(1925~2012)

仕事で、家庭で、今や私たちの暮らしに欠かせない電卓。
この電卓の原型となる、世界初の「小型純電気式計算機」を世に送り出したのが、カシオ計算機株式会社です。
この耳慣れた“カシオ”という社名も、樫尾家の4人の兄弟たちが力を合わせて創り上げた会社であり、この計算機が誕生するまでに数々のドラマがあったのだと知れば、また違った響きが感じられることでしょう。

後に「樫尾四兄弟」と呼ばれた彼らは、それぞれの個性と才能を生かした分業体制でカシオの礎を築き、その中で、次男の俊雄は発明家として、その一翼を担いました。

現在、樫尾俊雄発明記念館として部分公開されている旧樫尾俊雄邸では、歴史に名を刻んだ数々のヒット商品とともに、ここで暮らし、ここで発明にいそしんだ俊雄の情熱が、いまも生き生きと息づいています。

第1~2回では、発明家として生きた俊雄の人生を振り返り、第3~4回では、樫尾俊雄発明記念館(旧樫尾俊雄邸)を訪れてみることにします。

 

“カシオスピリット”を生み出した俊雄の情熱

樫尾製作所を率いる俊雄と和雄は、札幌で開催される製品発表会に向けて、「14-A」を抱えて出発しました。しかし、羽田空港で悲劇に見舞われます。

「14-A」は、飛行機に乗せるためのサイズ制限を超えていたのです。
2つに分割して乗せるしかないのですが、複雑な配線を一度切ってしまうと、現地でつながる保証がありません。離陸時間が迫る中、俊雄と和雄は意を決して配線を切りました。

そして悲しいことに、「14-A」が現地で正しく作動することはなかったのです。
この一件で、太洋セールスとの契約は破談になりました。

俊雄は、このとき1本のバネのイメージが心の中に浮かんでいた、と回想しています。バネは伸びる前に必ず一度縮むのだ、と。タフで、どこか楽観的な俊雄の性格がよく表れています。

失意の帰京から数日後、この発表会の会場に居合わせた株式会社内田洋行から声が掛かり、1957年に「14-A」の商品化がついに実現しました。樫尾4兄弟の喜びはいかばかりだったか、想像に難くありません。

「14-A」はすぐに増産を重ね、1958年には東京都の発明展で特別賞を受賞しました。
4人は休むことなく働き続け、時代の先端をいく商品を次々と生み出します。
会社としても軌道に乗り、ようやく一息つけるようになった4人はそろってゴルフにのめり込むようになりました。しかし、この油断が危機を招きます。

ライバルはすぐ背後まで迫っていました。

1964年、シャープ株式会社が電子式卓上電子計算機、いわゆる「電卓」を発売しました。
サイズが小さく、トランジスタを使っているため計算も速いという画期的な商品です。
次いで、キヤノン株式会社も電卓を発売しました。いわゆる“電卓戦争”の勃発です。

ゴルフざんまいだった4兄弟は青くなり、1965年、他社に後れを取る形でカシオ初の電卓「001」を発売しました。
「これ以降、平日に4人でゴルフに行ったことは一度もありません」(『電卓四兄弟』より)と後に幸雄は語っています。

1970年代の半ばに入ると、ボウリングブームが到来しました。
例に漏れず4兄弟もボウリングに夢中になりましたが、スコアの集計は非常に面倒なものでした。そこで、「4桁表示でいい。小数点もいらない。低価格でポケットに入るものを」と、ボウリング場で重宝する電卓の構想を練ります。

そして1972年、6桁までしか表示のできない(計算自体は12桁まで可能)小さな計算機「カシオミニ」が誕生しました。

▲カシオミニ

これは、1年間で100万台の売上を記録する大ヒット商品となります。
「14-A」から“一課に一台”という時代をつくり出したカシオは、「カシオミニ」で“一家に一台”という新たな文化を生み出したのです。

このヒットで“電卓戦争”はカシオが勝利を収めました。俊雄はこの頃、後に樫尾俊雄発明記念館となる自宅を建てることができたそうです。

その後も、カシオは時代の先端を走り続けました。
「時間は1秒1秒の足し算だ、だから計算機の発想で時計が作れる」と時計事業に参入。

1974年に、月日、曜日を表示するオートカレンダー機能が付いた世界初の腕時計「カシオトロン」を発売しました。

▲カシオトロン

その後も、電子電話帳内蔵腕時計、温度・気圧センサー内蔵腕時計、GPS内蔵腕時計、心拍数計付き腕時計、音楽プレーヤー内蔵腕時計など、今のスマートウオッチの原型といえるような時計を次々と生み出しました。

1983年に発売された「G-SHOCK」は、2017年に入って世界出荷個数が累計1億個を突破しています。もはや時計というジャンルを超えた、生きる伝説といえる商品かもしれません。

1980年には、楽器業界に参入し、29種類の音色を出せる電子楽器「カシオトーン201」を発売しました。

▲カシオトーン201

音楽好きで、いろいろな楽器に手を出してはみるものの、うまく演奏できずに挫折を繰り返していたという俊雄。それが“誰もが簡単に弾ける電子楽器”というアイデアにつながったのです。

「生き物になぜ音は必要か。なぜウグイスはホーホケキョ、鶏はコケコッコーと鳴くのか」(『電卓四兄弟』より)と、常に本質から考える俊雄だからこそ、生み出せた商品でした。

最後に取り組んだ製品は、プログラム入力不要の事務用情報処理装置「ADPS R1」。俊雄、64歳での発明でした。

▲1号機ADPS R1/130

“カシオらしさ”という言葉を耳にすることがあります。
面白いもの、ありそうでなかったもの、新鮮な驚きをもたらしてくれるもの、そこから新たな文化が生まれるもの。

人はカシオが作り出すそのような商品を、カシオらしいと賞賛してきました。
創業時から現在まで受け継がれているその“カシオらしさ”の根底にあるのは、“発明は必要の母”という俊雄の名言の通り、ユーザーがまだ気付いておらず、その必要性を新たに呼び起こすようなものを生み出していこうというカシオスピリットに違いありません。

▲左から四男・幸雄(生産担当)、三男・和雄(営業担当)、長男・忠雄(財務担当)、次男・俊雄(開発担当)

このカシオスピリットそのものを生み出した俊雄の熱意は、2012年に87歳で生涯を閉じるそのときまで失われることはありませんでした。

 
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参考文献
『樫尾俊雄発明記念館 パンフレット』
『社内報かしお 樫尾俊雄名誉会長追悼特別号』(カシオ計算機)
『計算機の中に宇宙の意思をみた』樫尾俊雄著
『電卓四兄弟 カシオ「創造」の60年』樫尾幸雄、佐々木達也著(中央公論新社)
『兄弟がいて 私の履歴書』樫尾忠雄著(日本経済新聞社)
『考える一族 カシオ四兄弟・先端技術の航跡』内橋克人著(岩波現代文庫)

取材協力:樫尾俊雄発明記念館
所在地:東京都世田谷区成城4-19-10
開館時間:9:30~17:00 入館料:無料
※完全予約制。WEBサイトからの予約が必要。
http://kashiotoshio.org/

M0000OG2573(2018.02新)

棚澤明子

棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。