家が紡ぐ物語 石井桃子編 第4回


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かつら文庫の誕生

クマのプーさん、ピーターラビット、うさこちゃん。
幼い頃、私たちのすぐそばにいた仲間たちは、みんな石井桃子にそっと手を引かれてやってきました。
表紙に記されていた「いしいももこ やく」という字面の優しく、柔らかな気配。
「いしいももこ」と書いてあれば面白いに違いない、と信じていた幼い日の自分。
親になり、わが子へ読み聞かせる番になって「いしいももこ」と再会した日の感慨。
それらは、生まれ育った場所や時期が違っても、私たちの多くが心の奥底にひっそりと抱き続けている記憶なのではないでしょうか。
101年の生涯を通して200冊以上の児童書を世に送り出した翻訳家であり、編集者であり、作家でもあった石井桃子とは、いったいどのような女性だったのでしょう。
その人生をひもとくため、東京都杉並区にある「かつら文庫」(旧石井桃子邸)を訪ねてみることにしました。

 

今も石井桃子の遺志を受け継ぐ家

かつら文庫は、1958年3月1日に開館しました。
開館に先立って2月24日に家の前に立てられた看板には、このように書かれていたそうです。

「小学生のみなさん
いらっしゃい
おはなしとスライドの会
三月一日(土)二時から
来たい人は、なかにはいって
申し込んでください。」

テーブルが2こ、椅子が12脚。
犬養家から譲り受けたおひなさまに、菜の花と桃の花。
そこに一番乗りでやってきたのは、阿川佐和子さんのお兄さんである阿川尚之さんでした。
この一番乗りについては、「なんか非常に熱心なように聞こえるのですが、大変簡単なことで、私を文庫に連れて行った(父の)阿川弘之さんが、時間を1時間間違えただけのことであります」と本人が「かつら文庫の50年」記念の集いでスピーチをし、会場の笑いを誘う場面がありました。
阿川兄妹は、『サッちゃん』の作詞で有名な阪田寛夫さんの娘さん二人(一人は後に宝塚スターになった大浦みずきさん)も一緒にバスと電車を乗り継いで、かつら文庫に通っていたそうです。

開館当日の写真は、今でも受付に飾られています。

▲かつら文庫を開館した頃の石井桃子と子供たち
(C)(公財)東京子ども図書館 無断転載複写を禁じます

当時の蔵書は、あちこちからかき集めた350冊。
日本にはまだ質の高い子どもの本が少ない時代だったため、海外の絵本をそのまま置き、訳しながら読み聞かせをする日々だったといいます。
オープンは毎週土曜日の午後と日曜日の9時から17時まで。
本は3冊、2週間借りることができました。
会員は4歳から小学校6年生までで、1人で歩いて来られることが条件だったそうです。
初日にやってきたのは20人でしたが、それが1年間で延べ1116人となり、7年目の1965年には登録者が130人となりました。
かつら文庫の熱気が伝わってくる数字です。

当時かつら文庫に通っていた人々が、後になって共通して語っていることがあります。
それは、かつら文庫ではみんなが思い思いに本を読み、無理に友達をつくる必要もなければ、誰かに何かを強いられることもなかった、ということです。
「読書感想文を書かされなくてうれしかった」と語る人もいます。
自らの小学生時代に学級文庫を利用していた桃子は、そこで自由に本を読み、干渉されることがなかったことを振り返って「このような自由を、私はいまもたいへんありがたく思っている。じぶんで発見した本をじぶん流にたのしむことを覚えたから」と語っています。
幼い頃の自分の声に従って自由を尊ぶことで、桃子は子どもたちの“居場所”を守ったのでしょう。

けれども、子どもたちは放っておかれたわけではありません。
そもそも、かつら文庫は桃子にとって、「子どものためだけの図書館を開きたい」という夢の実現であると同時に、子どもたちの反応を目の前で見るための実験の場でもありました。
実際、かつら文庫で桃子たちが訳しながら読み、子どもたちがとりわけ喜んだ本、『シナの五にんきょうだい』や『100まんびきのねこ』などは、後に翻訳権を取得して出版に至っています。
日本の児童文学の歴史における、大きなうねりの源流がここにありました。

桃子について調べていると、必ず目にする直筆の色紙があります。
94歳の桃子からのメッセージです。

▲杉並区立中央図書館で開催された「石井桃子展」に寄せた自筆の色紙
(C)(公財)東京子ども図書館 無断転載複写を禁じます

人生における「子ども時代」の重要性を、生涯を通して訴え続けていた桃子。
物語の持つ力、言葉の持つ力を信じ、それを子どもたちに伝え続けた桃子。
桃子の奮闘がなければ、私たちはプーさんにも、ピーターラビットにも、うさこちゃんにも出会うことはなかったでしょう。

桃子が101歳でその生涯を閉じた後も、かつら文庫は子どもたちの拠り所であり続けています。
来年は60周年。
開館当時と変わらず、平成の子どもたちが目を輝かせて土曜日の午後になるとここに集まってきます。

 

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参考資料
『ひみつの王国 評伝 石井桃子』尾崎真理子著(新潮社)
『とんぼの本 石井桃子のことば』(新潮社)
『家と庭と犬とねこ』石井桃子著(河出書房新社)
『別冊こどもとしょかん かつら文庫の50年』(東京子ども図書館)


取材協力:公益財団法人東京子ども図書館
かつら文庫所在地:東京都杉並区荻窪3-37-11
◆子どもの利用
第1~4土曜日(祝日、夏期・冬期の特別休館を除く) 14:00~17:00
◆大人の利用
原則火曜・木曜(祝日を除く) 13:00~16:00 案内料500円がかかります
※東京子ども図書館へ事前の確認が必要。詳しくはお問い合わせください(03-3565-7711)
http://www.tcl.or.jp/

M0000OG1861(2017.10新)

棚澤明子

棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。