家が紡ぐ物語 石井桃子編 第3回


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クマのプーさんとの出会い
▲石井桃子(1907~2008年)1953年頃
(C)(公財)東京子ども図書館
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クマのプーさん、ピーターラビット、うさこちゃん。
幼い頃、私たちのすぐそばにいた仲間たちは、みんな石井桃子にそっと手を引かれてやってきました。
表紙に記されていた「いしいももこ やく」という字面の優しく、柔らかな気配。
「いしいももこ」と書いてあれば面白いに違いない、と信じていた幼い日の自分。
親になり、わが子へ読み聞かせる番になって「いしいももこ」と再会した日の感慨。
それらは、生まれ育った場所や時期が違っても、私たちの多くが心の奥底にひっそりと抱き続けている記憶なのではないでしょうか。
101年の生涯を通して200冊以上の児童書を世に送り出した翻訳家であり、編集者であり、作家でもあった石井桃子とは、いったいどのような女性だったのでしょう。
その人生をひもとくため、東京都杉並区にある「かつら文庫」(旧石井桃子邸)を訪ねてみることにしました。

 

かつら文庫の誕生まで

では、桃子はいつ、どのようにしてこの家にやってきたのでしょう?
そして、なぜここで「かつら文庫」を開くことになったのでしょうか?
桃子の人生を振り返ってみましょう。

桃子がこの地に住み始めたのは1939年、32歳の頃のこと。
もともとここには、桃子の文藝春秋社時代の同僚で、親友である小里文子が住んでいました。

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こちらの古い写真は、文子から受け継いで、桃子が住んでいた頃の家の様子。
家の前に立つのは、桃子の姉です。

1938年、結核を患っていた小里文子が亡くなった後、桃子は住み手のいなかったこの家を引き取りました。
その当時は借地でしたが、戦後になり「うそのような値段でこの土地を買った」と桃子が語っているのは、ちょうど庭の上に高圧線が通っていたことが原因だったそうです。

ここに住み始めた桃子は、『熊のプーさん』(1940年刊)や『ノンちゃん雲に乗る』(1947年刊)を出版したり、1954年には1年をかけて海外留学したり、と人生の激動期に入っていきます。

1年に渡る留学から帰国した桃子は「家庭文庫を開く」という一大決心を固め、1957年に家を建て替えました。
設計は、桃子の友人であった建築家の芦原義信氏。
1階の中央に玄関があり、右手には子どもたちのための文庫、左手に居間兼食堂兼応接室があり、2階に自分の書斎や寝室を設けました。

▲その頃の家。2階にいるのが石井桃子
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こうして家の建て替えの翌年、1958年にかつら文庫が開館します。

大勢の子どもたちの拠り所となったこの家は、その後も改築・改装を重ねながら、現在の建物になっています。

桃子はいったいなぜ、そしてどのようにしてこの家でかつら文庫を開くに至ったのでしょうか?
桃子の年譜を見ていると、すべての発端はクマのプーさんとの出会いだったのではないか、と思われてなりません。

▲A・A・ミルン作 石井桃子訳 岩波書店 1940年初版 無断転載複写を禁じます

敏腕編集者として活躍していた文藝春秋社を退職した1933年のクリスマスイブ、26歳だった桃子は犬養健(犬養毅元首相の三男)邸に招かれました。

そこで桃子は、クリスマスツリーの下に朱色の表紙の本を見つけます。

後に政治家となる西園寺公一が、当時まだ幼かった健の子どもたち、道子と康彦に贈った『プー横丁にたった家』の原書でした。
「読んで、読んで」とせがまれた桃子は、何の予備知識もないままにこの本を訳しながら読んでいきます。

「その時、私の上に、あとにも先にも、味わったことのない、ふしぎなことがおこった。私は、プーという、さし絵で見ると、クマとブタの合の子のようにも見える生きものといっしょに、一種、不可思議な世界にはいりこんでいった。それは、ほんとうに、肉体的に感じられたもので、体温とおなじか、それよりちょっとあたたかいもや・・をかきわけるような、やわらかいとばり・・・をおしひらくような気もちであった」(『プーと私』より)

プーとの出会いについて、桃子はこのように書き残しています。

プーの物語は桃子自身の翻訳で、1940年に『熊のプーさん』として、1942年に『プー横丁にたった家』として出版されました。
この翻訳については、病床にあった親友の小里文子が「もうじき死んだら、三途の河原で石をつんでいる、かわいそうな子どもたちを相手に、幼稚園を開こうと思うのだが、ちゃんと日本語になっていないと、上手に話してやれないではないか」と話したことを受けて、取り組んだという逸話も残っています。

戦地に赴いた若い友人たちを慰めるために『ノンちゃん雲に乗る』を書いては送っていたのも、この時期です。

太平洋戦争が激化し、明日の自分の命すらも分からなかった時代。
苦しむ友人たち、そして子どもらしく生きることが許されなかったあまたの子どもたちにとって、「物語」が生きる力を引き出すことを桃子は信じたのではないでしょうか。
そこには、単に「物語を楽しむ」ということとはまったく異質の、鬼気迫るものが感じられます。

敗戦後、宮城県での農業生活を経て、岩波書店に勤務することになった桃子は「岩波少年文庫」「岩波の子どもの本」の編集に全力を尽くしました。

当時の桃子の写真からは、あふれんばかりのエネルギーが伝わってきます。

1954年、桃子は欧米諸国の公共図書館や児童文学・出版の現状を学ぶために、1年かけて、アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツ、フランスなどを渡り歩きます。
この留学中に見聞きしたことが、その後の活動の方向性を定め、桃子は自宅の一室に子どものための図書館を開くことに決めました。

かつら文庫の誕生です。

 

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参考資料
『ひみつの王国 評伝 石井桃子』尾崎真理子著(新潮社)
『とんぼの本 石井桃子のことば』(新潮社)
『家と庭と犬とねこ』石井桃子著(河出書房新社)
『別冊こどもとしょかん かつら文庫の50年』(東京子ども図書館)


取材協力:公益財団法人東京子ども図書館
かつら文庫所在地:東京都杉並区荻窪3-37-11
◆子どもの利用
第1~4土曜日(祝日、夏期・冬期の特別休館を除く) 14:00~17:00
◆大人の利用
原則火曜・木曜(祝日を除く) 13:00~16:00 案内料500円がかかります
※東京子ども図書館へ事前の確認が必要。詳しくはお問い合わせください(03-3565-7711)
http://www.tcl.or.jp/

M0000OG1860(2017.10新)

棚澤明子

棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。