家が紡ぐ物語 林芙美子編 第4回


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芙美子が求めた”ついのすみか”(2)
▲泰と食事をする芙美子
資料提供:新宿歴史博物館

「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。」

林芙美子の『放浪記』は、そんな一文から始まります。
恵まれなかった少女時代、木賃宿(きちんやど)(*1)を転々としながら両親と共に行商で暮らした芙美子。
文才を秘めていた彼女は、やがて流行作家としてスターダムにのし上がります。
しかし、そこまでの道程は、決して平たんなものではありませんでした。
その壮絶な日々を書き連ねた、赤裸々な日記をまとめたものが『放浪記』です。
どのような境遇に落ちても、あらゆる手段を使って生き抜こうとした生命力。
思いの丈をぶつけた、炎のように激しい言葉の数々。
『放浪記』は、戦前戦後を生きた多くの日本人、特に女性たちの心を強く揺さぶり、力づけました。

自ら「宿命的な放浪者」だと名乗った芙美子ですが、36歳のときに持てるエネルギーと資金の全てをつぎ込んで、“ついのすみか”の建築に着手しました。
現在、林芙美子記念館として公開されているこの家は、非常に美しく洗練され、かつ温かみを感じさせるものです。
けれども、私はこの家を前にしたときに、かすかな違和感を覚えました。
あの違和感が何だったのか、あらためて考えながら、芙美子の人生を追っていきたいと思います。
 

家の端々から見える素顔の芙美子

▲芙美子の自画像

中庭を抜けて庭から家の全景を眺めたときに感じたのは、数寄屋造りの繊細さと、芙美子らしいおおらかさが相まった独特の居心地の良さでした。

茶室の躙り口(にじりぐち)(*2)を彷彿とさせる背丈の低い入り口、簡素な床の間、雪見障子など、各部屋に数寄屋造りの美しさが生きています。
庭にはかれんな草花が咲き乱れていましたが、これは芙美子の死後に作られた庭であり、芙美子自身は京都の苔寺からインスピレーションを得て、ここを竹林にしていたそうです。
ここが竹林だったことを想像すると、家の表情がまたがらりと変わります。
芙美子は、装飾性をそぎ落としたものの美しさを好んだのでしょう。
華美なものを求める人に違いない、という私の先入観はまた裏切られることになりました。

母・キクの使った小間(こま)、一家だんらんの場所だった茶の間、緑敏と泰の寝室、緑敏のアトリエは、明るい日差しが十分に入るよう、南側の庭に向けて作られています。
逆に、日差しの入らない北側に据えられたのが、原稿を取りに来る編集者たちを待たせていた客間でした。

▲小間
▲茶の間
▲客間

芙美子は、この家を建てるに当たって、「客間ではなく、台所や風呂、茶の間など生活の場に贅をこらす」ことを条件としていたそうです。
彼女にとって「家」は客に見せるためのものではなく、家族が心地よく暮らすためのものだったのでしょう。
この客間の位置からも、芙美子の思いがよく表れています。
さらに、「東西南北に風の通る家である」ことも芙美子が掲げた条件の一つ。
実際、庭からは北側の通路までを見通すことができました。
心地の良い風が、家の中を通り抜けていきます。

芙美子の書斎は、アトリエ棟の中央に位置しています。
庭からは少し奥まっている上、数寄屋造りの特徴である深いひさしの奥に作られているために薄暗く、隔離されているような印象を受けます。
この書斎へは、北側の通路からも廊下をまたいで入れるようになっています。
北側といえば、編集者たちを待たせた質素な客間がありますが、こちらの書斎への入り口には美しい趣向が凝らしてありました。
廊下の前に、竹で作られた縁台がしつらえられているのです。
ここは、船着き場をイメージして作られているとのこと。
芙美子にとって執筆の場というものは、まるで船で出掛けていく場所のように、生活の場とは隔絶された場であってほしかったのかもしれません。

▲書斎

この薄暗い部屋で、芙美子は朝から晩まで机に向かいました。
筆圧が強く、書いているうちに机が前に前にと押されてしまうので、大きな机を使っていたのだそうです。
書斎は、隔絶されているようでもあり、同時にこの建物の“おへそ”のようでもありました。
手をかけて仕上げた水回り、暖かな陽が当たる家族だんらんの場、広々と作られた緑敏のアトリエ。

そのすべてを真ん中で支えているのがこの書斎なのではないか、と思わずにはいられない間取りだったのです。

この家にたたずんでいる間に、最初に感じた違和感が少しずつ溶けていき、素顔の芙美子が見えてきます。
私は思い描いていた芙美子と、実際の芙美子のずれに気付かされました。

***

林芙美子記念館を訪れた後、私はもう一度、芙美子の生涯を調べ直しました。
そして、気付いたのは、私たち読者は『放浪記』に縛られすぎているのではないか、ということでした。
実際、芙美子が貧乏のどん底で放浪生活を送ったのは、少女時代の約2年間と、上京してから緑敏に出会うまでの約4年間にすぎません。
また、多くの人が指摘している通り、『放浪記』は完全なノンフィクションではなく、随所にフィクションが折り込まれています。
実在の林芙美子は、『放浪記』の中の林芙美子とイコールではないのです。
私は、林芙美子という名前に、長きにわたったどん底生活から成り上がり、仕事を取るためなら何でもする、炎のような女性を重ねていました。
家は成功の証し、自己顕示欲の現れとして建てたものなのではないかとも思っていました。
しかし、実際に見えてきたものは違っていました。
共に放浪した母親と人生を変えてくれた夫に、温かな家を贈った芙美子。
養子を迎えて子育てに励み、仕事の合間に台所に立つことを楽しんだ芙美子。
そして、全てを “大黒柱”として、筆一本で支えていた芙美子。
『放浪記』にとらわれていては会うことのできない芙美子に、この家は会わせてくれるのです。

*1:安価で粗末な宿泊施設
*2:茶室の客用の狭い入り口のこと。身分の高い人でも自ずと頭を下げるように、茶の湯の精神にのっとって作られていた

 
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参考文献
『放浪記』(林芙美子著・岩波書店)
『人間・林芙美子』(竹本千万吉著・筑摩書房)
『生誕110年林芙美子展―風も吹くなり 雲も光るなり―』(公益財団法人 新宿未来創造財団)
林芙美子記念館パンフレット(公益財団法人 新宿未来創造財団)

取材協力:新宿区立 林芙美子記念館
所在地:東京都新宿区中井2-20-1
開館時間:10:00~16:30(入館は16:00まで)入館料:一般150円、小・中学生50円
定休日:月曜日(月曜日が休日に当たるときはその翌日)、年末・年始
https://ssl.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/fumiko/12/

M0000OG1666(2017.07新)

棚澤明子

棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。