家が紡ぐ物語 林芙美子編 第3回


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芙美子が求めた”ついのすみか”(1)
▲『清貧の書』執筆の頃
資料提供:新宿歴史博物館

「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。」

林芙美子の『放浪記』は、そんな一文から始まります。
恵まれなかった少女時代、木賃宿(きちんやど)(*1)を転々としながら両親と共に行商で暮らした芙美子。
文才を秘めていた彼女は、やがて流行作家としてスターダムにのし上がります。
しかし、そこまでの道程は、決して平たんなものではありませんでした。
その壮絶な日々を書き連ねた、赤裸々な日記をまとめたものが『放浪記』です。
どのような境遇に落ちても、あらゆる手段を使って生き抜こうとした生命力。
思いの丈をぶつけた、炎のように激しい言葉の数々。
『放浪記』は、戦前戦後を生きた多くの日本人、特に女性たちの心を強く揺さぶり、力づけました。

自ら「宿命的な放浪者」だと名乗った芙美子ですが、36歳のときに持てるエネルギーと資金の全てをつぎ込んで、“ついのすみか”の建築に着手しました。
現在、林芙美子記念館として公開されているこの家は、非常に美しく洗練され、かつ温かみを感じさせるものです。
けれども、私はこの家を前にしたときに、かすかな違和感を覚えました。
あの違和感が何だったのか、あらためて考えながら、芙美子の人生を追っていきたいと思います。
 

芙美子の“家”を訪ねて

4月上旬のよく晴れた午後。
西武新宿線・中井駅から少し歩き、「林芙美子記念館」の表示に従って小道に入ると、時代が少しさかのぼったかのように景色が変わります。
こけむした石塀に沿って、上へ上へと続く急な階段。
惜しげもなく舞い落ちる桜吹雪が、辺りを白く染めています。
その長い階段の上り口に、芙美子の家がありました。

記念館の入り口(かつての勝手口)から中に入ると、建物を左手にして通路になっており、家の全貌を見渡すには、土間から家を横切って庭に出なければなりません。
その土間の脇から、格子窓を通して台所がちらりと見えました。
あ、と思いました。
見てしまった、と。
心の準備をする前に、芙美子が大切に隠しておいたものを見てしまったような動揺と、かすかな違和感。
私が個人的に思い描いていた芙美子は、スターになってしまえば料理など人任せで、豊かな生活を周囲に見せつけるような、自己顕示欲の強い女性でした。
芙美子の魅力はその強気なところにあり、少なくとも、暮らしを慈しむような温かさやつつましさは、彼女とは無縁なものだと思い込んでいました。
けれどもこの台所に漂っている空気は、家事にいそしむ人ならではのつつましく、温かなものだったのです。

「四畳の狭い台所だけれども、八人の家族をここで充分にまかなえる」(「昔の家」より『芸術新潮』1950年1月号)と書き残されているように、広く作られた流しと調理台はまさに実用第一。
同時に粋な雰囲気が漂っているのは、芙美子がここに一番のこだわりを発揮したからなのでしょう。
鈍く光る流しと床は「人造石研ぎ出し仕上げ」(*2)で、芙美子の自慢だったようです。
流しの右側には、同じく研ぎ出し仕上げで作られた水がめがあります。
これは京都の寺の台所をまねたものだそうで、そうめんを冷やしたり、ユズを浮かしたり、断水のときには水をためて役立てることもあったそうです。
食器棚の扉は、食器が外から見えるようガラス製になっていました。
「素硝子にしたので、乱雑にはしておけない」(「昔の家」より)と書き残されていますが、あえて食器が見えるように作られた食器棚からは、一つ一つの食器に愛着を持っていた芙美子の姿が見えるようでした。

「私は深夜の仕事が多いので、台所はとくに居心地よくと考え、俎板を使う事は、書斎で原稿を書いている時と同じような事だと、流しと調理台の上に、スタンド式に燈をつけた。深夜に一人で台所をしていても、手元が白々と明るいので、料理をするのにも陰気でない」(「昔の家」より)
多忙の身となっても、芙美子は仕事の合間に家族の食事を作ったり、酒の肴を作ったり、ぬか漬けを漬けたり……と、台所仕事を楽しんでいたそうです。
生後間もない男の子・泰を養子に迎えて母となったのも、この家を建てた後のことでした。
流しの前の広い格子窓を開け放てば、目の前は勝手口からつながる通路です。
ここを行き来する夫や息子に、芙美子は格子越しに笑顔を見せ、飾らない言葉をかけていたに違いありません。
『放浪記』の中にはいなかった芙美子が、そこに立っていました。

台所の脇の小さな土間は、中庭に面しています。
実は、この家は生活棟とアトリエ棟に分かれており、その2棟がこの土間でつながっています。
建設当時、建坪制限があったため、芙美子名義の生活棟と緑敏名義のアトリエ棟を別々に建て、後でつなぎ合わせたのだそうです。
中庭の右手の部屋には、小さなぬれ縁(屋根や雨戸などがない野ざらしの縁側)がついていました。

芙美子は、ここで朝1杯の冷酒を飲んだそうです。
このぬれ縁から部屋の中をのぞくと、押し入れに張られたインド更紗(さらさ)の赤が目に飛び込んできました。
木材の色、畳の色、障子の色……と、自然色だけで成り立っている世界に赤が艶っぽく、この家のあるじが女性であったことを感じさせてくれます。

*1:安価で粗末な宿泊施設
*2:下地にセメントと種石を混ぜ合わせたものを塗り、砥石(といし)や研磨機などで磨き出す工法

 
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参考文献
『放浪記』(林芙美子著・岩波書店)
『人間・林芙美子』(竹本千万吉著・筑摩書房)
『生誕110年林芙美子展―風も吹くなり 雲も光るなり―』(公益財団法人 新宿未来創造財団)
林芙美子記念館パンフレット(公益財団法人 新宿未来創造財団)

取材協力:新宿区立 林芙美子記念館
所在地:東京都新宿区中井2-20-1
開館時間:10:00~16:30(入館は16:00まで)入館料:一般150円、小・中学生50円
定休日:月曜日(月曜日が休日に当たるときはその翌日)、年末・年始
https://ssl.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/fumiko/12/

M0000OG1665(2017.07新)

棚澤明子

棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。