家が紡ぐ物語 林芙美子編 第1回


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『放浪記』が生まれるまで
▲『清貧の書』執筆の頃
資料提供:新宿歴史博物館

「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。」

林芙美子の『放浪記』は、そんな一文から始まります。
恵まれなかった少女時代、木賃宿(きちんやど)(*1)を転々としながら両親と共に行商で暮らした芙美子。
文才を秘めていた彼女は、やがて流行作家としてスターダムにのし上がります。
しかし、そこまでの道程は、決して平たんなものではありませんでした。
その壮絶な日々を書き連ねた、赤裸々な日記をまとめたものが『放浪記』です。
どのような境遇に落ちても、あらゆる手段を使って生き抜こうとした生命力。
思いの丈をぶつけた、炎のように激しい言葉の数々。
『放浪記』は、戦前戦後を生きた多くの日本人、特に女性たちの心を強く揺さぶり、力づけました。

自ら「宿命的な放浪者」だと名乗った芙美子ですが、36歳のときに持てるエネルギーと資金の全てをつぎ込んで、“ついのすみか”の建築に着手しました。
現在、林芙美子記念館として公開されているこの家は、非常に美しく洗練され、かつ温かみを感じさせるものです。
けれども、私はこの家を前にしたときに、かすかな違和感を覚えました。
あの違和感が何だったのか、あらためて考えながら、芙美子の人生を追っていきたいと思います。
 

各地を転々とした少女時代、男が変わるたびに引っ越しした下積み時代

1903年12月31日、芙美子は現在の北九州市門司区で父・宮田麻太郎、母・キクの一人娘として生を受けました。麻太郎には商才があり、一家は余裕のある暮らしをしていたようです。

養父となった喜三郎も古着屋を構えて奮闘しましたが、1914年に倒産。
1916年に広島県尾道市にたどり着くまでの2年間、一家は行商をしながら生計を立てました。
「このころの思い出は一生忘れることは出来ないのだ。私には、商売はちょっとも苦痛ではなかった。一軒一軒歩いて行くと、五銭、二銭、三銭という風に、私のこしらえた財布には金がたまって行く。そして私は、自分がどんなに商売上手であるかを母に誉めてもらうのが楽しみであった。私は二ヶ月もアンパンを売って母と暮らした」(『九州炭坑街放浪記』より『改造』1929年10月号掲載)
これらの日々は、原風景として芙美子の人生に色濃い影を落としています。

1916年、一家は広島県尾道市に落ち着きました。
尋常小学校に編入した芙美子は、教師から文才を見いだされます。
小学校から高等学校への進学率が10%にも満たなかった時代(*2)。特に芙美子のような境遇にある少女の進学は珍しいことでしたが、芙美子は勧められて高等女学校を受験し、5番という成績で合格しました。

1922年、苦学の末に女学校を卒業した芙美子は、すでに上京していた恋人を追って単身で上京しますが、あえなく失恋。
ここから東京を舞台にした、人生2度目の放浪生活が始まります。

婚約者と別れても、なお東京に残った芙美子。
女工やカフェの女給などあらゆる職を転々としていた芙美子は、恋人ができれば一緒に暮らし、失恋すれば家を出るという日々を送り、安住の地を求める気配もありません。
欲しいものはその日の食いぶちと、抱き留めてくれる誰かの腕。
アイデンティティーは、ただひたすらに「書くこと」のみ。
「童謡をつくってみた。売れるかどうかは判らない。当てにする事は一切やめにして、ただただ無茶苦茶に書く。書いてはつっかえされて私はまた書く。山のように書く。海のように書く。私の思いはただそれだけだ。そのくせ、頭の中にはつまらぬことも浮かんで来る。あのひとも恋しい。このひともなつかしや。ナムアミダブツのおしゃか様。首をくくって死ぬる決心がつけばそれでよろしい。その決心の前で、私は小説を一つだけ書きましょう」(『放浪記』より)
貧乏のどん底にいた芙美子は、日々の苦しさと、夢に向けた燃えたぎるような思いを「歌日記」と称した日記に託しました。これが、のちに『放浪記』となり、芙美子をスターダムに押し上げるのです。

*1:安価で粗末な宿泊施設
*2:小学校から高等学校への進学率(『放浪記』(岩波書店)「解説<書くこと>で拓かれた「私」の青春」より)

 

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参考文献
『放浪記』(林芙美子著・岩波書店)
『人間・林芙美子』(竹本千万吉著・筑摩書房)
『生誕110年林芙美子展―風も吹くなり 雲も光るなり―』(公益財団法人 新宿未来創造財団)
林芙美子記念館パンフレット(公益財団法人 新宿未来創造財団)

取材協力:新宿区立 林芙美子記念館
所在地:東京都新宿区中井2-20-1
開館時間:10:00~16:30(入館は16:00まで)入館料:一般150円、小・中学生50円
定休日:月曜日(月曜日が休日に当たるときはその翌日)、年末・年始
https://ssl.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/fumiko/12/

M0000OG1663(2017.07新)

棚澤明子

棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。