家が紡ぐ物語 江戸川乱歩編 第3回


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東京・池袋に残る旧江戸川乱歩邸

写真提供:立教大学

強烈な個性を持つ怪人二十面相、不気味な妖怪博士、青銅の魔人、透明怪人……。異形の悪役たちがうごめく古い洋館に乗り込む明智小五郎と少年探偵団。
江戸川乱歩が描く妖しい世界に魅了され、子どもの頃に「少年探偵団シリーズ」を読破した思い出のある人も少なくないでしょう。
『屋根裏の散歩者』や『人間椅子』など人間心理を描き尽くした本格ミステリーも、いまだに色あせることなく、新たな読者を獲得し続けています。
「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」
乱歩は、この一言を自らのキャッチフレーズのように使っていました。
「現実世界の出来事は幻のようなもので、妖しい夢の世界こそが全てである」という意味で、“江戸川乱歩”というペンネームの由来にもなったアメリカの文豪、エドガー・アラン・ポーの言葉が元となっています。
この言葉を地でいくかのように現実の世界に価値を見いださず、職や住まいを転々としながら夢の世界に生きた乱歩。
専業作家になるまでに20回近く職を変え、生涯で40回以上転居を繰り返したといわれています。
そんな乱歩が、人生後半の31年間、一軒の家に住み続けました。
終の棲家(ついのすみか)となったこの家には、乱歩をひき付けてやまない何かがあったのでしょうか。

残された文献を読み解いていく中で見えてきた、生身の乱歩。
実際に足を運んだ旧乱歩邸で目の当たりにしたもの。
そこから、乱歩にとってこの家が何だったのかを探っていきたいと思います。
 

終の棲家との出会い

1934年、乱歩は一軒の家と出会いました。
東京は池袋、立教大学のすぐ隣に立つ土蔵付きの平屋です。
関東大震災でも空襲でも焼け残ったこの家に、乱歩は亡くなるまでの31年間住み続けました。
入居当時の家賃は90円(*1)。戦後、「土地ごと買い取るか立ち退くかどちらかにしてくれ」と家の持ち主に迫られて1952年に買い取り、さらに1957年に増築しました。
流浪する生活に終止符を打った理由については、「一所定住は性に合わないが、家族みんな定住派だし、それをおして動くほどの元気はもうない」と書き残されていますが、乱歩という人間の妄想癖、現実の世界に安住しない性質はその程度のものではなく、創造の源泉につながる根深いものだったはずです。
この家には、乱歩をひき付けて離さない何かがあったのではないか?
そんな仮説を一つ立て、旧乱歩邸を訪ねてみることにしました。
そして、そこで見たものは、「なぜ乱歩はここに?」という問いの答えとして十分なものでした。
 

いざ、幻影城へ(1)

池袋にある旧乱歩邸を訪れたのは、雪のちらつくある冬の日のこと。
地図を見ながら路地を入って少し歩くと、見逃してしまいそうになるほど平凡な表札が2つ並んでいました。
ひとつは「平井太郎」。乱歩の本名です。
もうひとつは「平井隆太郎」。こちらは、乱歩の一人息子です。

緩やかなカーブを描く石畳のアプローチから玄関へ。
まるで現実世界と夢の世界をつなぐ道であるかのように思えて、緊張感が増してきます。
1957年にこの家を増築した際、乱歩は自ら方眼紙に平面図を描き、出入りの大工に指示を出しながら施工させたそうです。

旧江戸川乱歩邸展示の資料より。乱歩邸の間取り図(上)と東京に来てからの引っ越し地図(下)。どちらも乱歩自身の手描きによるもの

随筆「自宅増築記」(『うつし世は夢』より)によると、土台となる木材には細心の配慮をしており、厳選した太い木材をタールの池に漬けて腐蝕を防ぐという方法をとったようです。また、継ぎ目はボルトだけでなく、厚い鉄板を当ててねじ止めにした、と書き残されています。

最初に母屋の1階にある9坪ほどの洋間に案内していただきました。
前出の随筆によると、松坂屋の重役宅で見掛けた壁板が気に入っていた乱歩は、この洋間の壁板に同じものを求めて松坂屋専属の会社に頼んだということです。

母屋1階の洋間(応接室)の様子

洋間の中で最も高価だというペルシャじゅうたんは、乱歩本人が高島屋で見つけてほれ込んだもの。
天井から直接下げた厚手のカーテンとレースのカーテンは、共に三越家具部に頼んで調達してもらいました。
壁には、暖炉を模した装飾を施し、中でガスストーブを燃やせるようにしてあります。

青いビロード張りの椅子に座らせてもらうと、すっかり弾力を失ったスプリングのおかげで体が深く沈み込み、長い時間がここに流れたことがじかに伝わってきました。 外国からの客人や洋装の知人が来たときにもてなせるようにと、こだわりぬいて作られた洋間は非常に洗練されていて、細部にまで乱歩の思いが行き届いています。 けれども、ここは現実世界へ向けた乱歩の「外」の顔なのだと思えてなりません。 この家の核心は、洋間ではなく他にあるのではないか。 そのように感じながら庭に出てみると、灰色の冬空を背にして黒々とすすけた土蔵が圧倒的な存在感を放って立っていました。

それが、「幻影城」と呼ばれる乱歩の土蔵でした。

*1:当時の公務員の初任給は75円でした(『値段の風俗史』より)
 

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参考文献
『江戸川乱歩推理文庫第60巻 うつし世は夢』(講談社)
『江戸川乱歩随筆選』(紀田順一郎編・筑摩書房)
『江戸川乱歩コレクションⅠ 乱歩打明け話』(新保博久、山前譲編・河出書房新社)
立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターパンフレット

取材協力:立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター
所在地:東京都豊島区西池袋3-34-1
公開:水曜、金曜(10:30〜16:00)
*資料閲覧には事前予約が必要
http://www.rikkyo.ac.jp/research/institute/rampo/

M0000OG1540(2017.04新)

棚澤明子

棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。