家が紡ぐ物語 夏目漱石編 第4回


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終の棲家となった「漱石山房」

写真:国立国会図書館ウェブサイトより

明治の文豪・夏目漱石―――
その名から誰もが最初に思い浮かべるのは、立派な口ひげを蓄え、まるで日本の行く末を案じるかのような憂いを帯びた目をした、あの写真ではないでしょうか。
漱石の人となりはあらゆる言葉で語られてきましたが、そこには常にあの写真から漂う「迷いなくわが道を進むエリート」「イギリス仕込みの近代的な紳士」というイメージが付きまとってきたような気がします。
漱石は、49年の生涯で30回を越える引っ越しをしました。
引っ越しの経緯を一つ一つたどっていくと、周囲に翻弄(ほんろう)されて右往左往している生身の漱石が浮かび上がってきます。
その姿は、誰もが思い浮かべる「文豪・夏目漱石」からは少し離れていて、時に痛々しかったり、時に滑稽だったりします。
漱石はどこから生まれて、どこにたどり着いたのでしょうか。
漱石が暮らした家々を訪ねながら、その人生をひも解いていきましょう。

終の棲家「漱石山房へ」

早稲田南町の漱石山房にて(1915年)撮影:鳥井素川

神経衰弱に加えて胃痛と闘いながらも作家として出発し、充実した生活を送っていた千駄木の家。
夫妻はここに住み続けることを望みましたが、1906年に家の持ち主である斎藤阿具が帰京することになり、明け渡さねばならなくなりました。
仕方なく本郷に家を見つけますが、下宿のような家だったとのことで、夫婦ともに気に入ることはなかったようです。
1907年、40歳になった漱石は朝日新聞社に招かれ、連載小説を書くことが決まりました。これまで教職で生計を立ててきた漱石にとって、職業作家として踏み出すことになった大きな転換期です。
わずか9カ月の間に家主が3回も家賃を上げたことに立腹していた漱石は「大学を辞めてしまえば本郷にいる意味はない」と、朝日新聞入社と同時に転居を決意しました。
そこで移ったのが、終の棲家となる早稲田の「漱石山房」です。家賃35円(*)のこの借家に、漱石は亡くなるまでの9年間住み続けました。
340坪の敷地に建てられた60坪の和洋折衷の平屋は、もともと医院として設計されたものでした。洋風のベランダが回廊のようにぐるりと家の一角を囲んでいる様子は、いかにもモダンです。
この家で、夫妻は四女二男を育て上げました。相変わらず神経衰弱がひどいときは子どもたちを怒鳴りつけたという漱石ですが、基本的には子煩悩だったようです。自宅の裏庭にアイスクリーム製造機を置き、夏になるともろ肌を脱いでアイスクリームを作って子どもたちと縁側で食べたというエピソードも残っています。
この時期、『虞美人草』『それから』『門』などの名作が続々と生まれますが、1910年には胃潰瘍が悪化して、旅先の修善寺で危篤に陥りました。
なんとか回復したものの、1911年にはかわいい盛りだった五女・ひな子が急死し、漱石は心身ともに追い詰められていきます。
限界が迫る中で、『こころ』『道草』『明暗』など後世に残る作品を絞り出すようにして書いた漱石。
しかし、病魔はついに漱石を捕らえました。
1916年12月9日、胃潰瘍による内出血のため漱石永眠。
49年の短い生涯でした。

「私は家を建てる事が一生の目的でも何でも無いが、やがて金でも出来るなら、家を作って見たいと思って居る」(1914.3.22 大阪新聞『文士の生活』)と語っていた漱石は、人気作家になってからも家を買う余裕はなく、一生借家住まいのままでした。
けれども、長い間さまよい続けた漱石は、最後に間違いなく「漱石山房」にたどり着いたのです。
死の前年に、「漱石山房」で撮影された写真が残っています。
ベランダで椅子に腰掛けくつろぐ1人の老人は、誰もが思い浮かべる「文豪・夏目漱石」ではありません。
病に苦しみながらも、もうどこへも行かなくてよいのだという思いを噛みしめていたのでしょう。
ややとぼけたようなその顔からは、たどり着くべきところにたどり着いた人だけが見せる深い安堵(あんど)が伝わってきます。

「漱石山房」は、1945年の戦災で焼失しましたが、その跡地は1976年に新宿区立漱石公園となり、2008年にはベランダ式回廊の一部も再現されました。「新宿区立漱石山房記念館」としての開館に向けて、現在準備が進められています。

(*)1894年(明治27)〜1907年(明治40)、公務員の初任給(諸手当を含まない基本給。高等文官試験に合格した高等官対象)は、50円でした(『値段の明治・大正・昭和風俗史<続>』(朝日新聞社)より)
 

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参考
『文豪・夏目漱石–そのこころとまなざし』江戸東京博物館・東北大学編/朝日新聞社
小冊子「漱石山房の思い出」新宿区地域文化部文化観光国際課
『漱石の思い出』夏目鏡子述・松岡譲筆録/文春文庫
『千駄木の漱石』森まゆみ/ちくま文庫
『漱石とその時代 第三部』江藤淳/新潮選書
「愚陀佛庵」(http://www.bansuisou.org/gudabutsu/about.html
ホテルサンルート熊本HP(http://www.sunroute-kumamoto.jp/
夏目漱石内坪井旧居(http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?type=A&id=79)
博物館明治村(http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/1-9.html)
新宿区立漱石公園(http://www.city.shinjuku.lg.jp/content/000113753.pdf)
サライ公式サイト内「日めくり漱石」(http://serai.jp/tag/夏目漱石

M0000OG1396(2016.12新)

棚澤明子

棚澤明子

フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。